せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

220216日記 縛り

・水曜日終了。運動を日課にしてから、仕事後の自分の疲労度がなんとなくわかるようになってきた。ざっくり「疲れてる」か「ハチャメチャに疲れてる」だったのが、その後の運動を意識すると「多少疲れてるが、運動に抵抗を覚えるほどではない」「まぁまぁ疲れてて、運動に抵抗はあるが支障はない」「かなり疲れてるが、まぁいける」「もうムリ」まで解像度が上がる。今日は二番目。「疲れてない」という選択肢はありません。仕事終わりで疲れてないなんてあり得ないので。

 

・毎日書くだの、よほどでなければ1000文字くらい書くだの、似たようなことは連続して書かないだの、愚痴や文句はあんまり書かないようにしようだの、時事はやめとこうだの、日記ひとつとっても自分で自分を縛りまくっている。もちろん、時事に消極的なのなんかはそうした方が面倒がないからだけど、しかしそれ以外の多くは面倒しか生まない縛りだ。結局それは自分のことを「そこまで縛らないといけない」人間だと見積もっているからなのだが、しかしそれでいいのだろうか。自縄自縛。それは自己批判的、あるいは他人に言われるまでもなく自立的ってことで、それでいいじゃないかと思われるかもしれないが、しかし縛ってるのは私ではない。縄で、ルールだ。それも過去の自分が決めた。

 

・過去の自分も未来の自分もある意味他人みたいなもので、もちろん本当に正しい意見や主張であるならば一貫性を持ってたほうがいいのだけど、それはあくまで理想だ。「正しい」ことの証明ができなければ、一貫性を持つべきという話も崩れる。なにより、人の成長や変化を何一つ考慮していないだろう。そして、例に挙げた日記の縛りもそうかもしれないが、下手な縛りは成長を止める。「そういう人間だから」と設けた縛りが、いつまでも「そういう人間」から変化することを許さない……なんてことも、あるかもしれない。

 

・エルデンリングまで10日切ってるんですね。なんかずーっと楽しみにしてるけど、フロムの作品はセキロくらいしかやってないんですよね。トレーラーとか見る限りはダクソ寄りだが、そっちは未履修だ。楽しめるかどうか、実のところ不安ではある。完成度自体を疑う余地は少ないが、完成度だけで100点は出ない。少なくとも私は。合う合わないはどうしたってあるのだ。