せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

220215日記 なにかのせいとチョコレイト

・火曜日終了。いろいろしてたらもうこんな時間。こう、仕事で余暇を潰されるのは当然腹立たしいものだけど、仕事以外のごく私的なことでも、そのせいでこういう日記みたいな決まった時間にやってることが後回しになったりしたら、怒りとはまた別のマイナスな感情が湧いてくる。なんなんでしょうね。完全に理不尽な気はするが、別にどこにぶつけるでもなく、そもそも何に抱いてるわけでもないのでセーフってことで。これで仕事や社会を恨みだしたらそりゃヤバいけどさ。

 

・そんなやつ居ねえだろとは思うけど、しかしあり得ない話ではない。今日は定時上がりの私も、そもそも夕方までではなく昼間が定時でさえあれば、やってた「いろいろ」を終わらしてもまだいつもの時間には余裕で日記が書けただろう。となればそんな職場やそれを許容する社会の「せい」に出来なくはないのだ。無理筋だが、理屈で人の感情は変えきれない。起こり得る万事はどうにかこうにか理屈をつければ社会のせいにすることが出来てしまうし、出来てしまう以上それを本意にするやつもいる、という話。それが恨みや怒りであればなおのこと。桶屋が風に感謝することはないかもしれないが、皮にされた猫の中には風を恨むやつはいるかもしれない。

 

・とはいえ、何があっても社会のせいにしちゃいけないなんて言うつもりもなく、その辺は線が引けるものでもないだろう。個々人が事案に対して適宜柔軟にご判断ってことで。場合によっちゃあアリもアリでしょう。革命は権利ですよ、同士。人権に含まれております。いない? ならやはり革命だ。権利でなければ、義務となる。

 

ピノキオピ―の曲を聴き始めてもうずいぶん(たぶん十年とか)経つけど、未だに数多の発表曲のなかで『腐れ外道とチョコレゐト』だけは「らしく」ないなぁと、なんなら当時からずっと思っている。……が、似た感性でボカロの話を出来る同士がいないため、この思考がどれだけ妥当で一般に通ずるものなのかもわからない。ので日記に吐き出します。昨日はバレンタインだったしね。

 

・なんつうかな、衆愚への批判的なことは他の曲でもしてるんだけど、これだけは露悪が過ぎるというか。毒をユーモアで隠してるんじゃなく、毒をユーモアに練り込んでいる。すっとぼけていないし、訴えかけてもいない。そこにあるものをただ批判している「だけ」。梨本ういほどではないが、あの悪趣味さに近しいものを『腐れ外道とチョコレゐト』に限り感じていて、そこまで好きではない。キャッチーなのはわかるんだけどさ。