せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210613日記 したり顔の悪罵

・日曜日終了。いやぁ太ももが痛い。疑う余地のない筋肉痛。筋トレ、完全に一人でやるとそこそこのとこで辞めてしまうので、昨日のカルロピノの筋トレ配信みたいなのがとてもありがたい。スクワットとかね、料理の途中の暇なときとかに思いついてやったりするんだけど、追い込みまでは絶対いかないから。気まぐれ筋トレではそうそう筋肉痛は起きない。自分でメニュー考えるほどのやる気もないからね。ジムもめんどくせぇし。またやってくれるととても嬉しいのだけども、なんだろう、今ふと「(自分でまじめに取り組むためのコストを他人に求めんな)」みたいな悪態が頭をよぎり、ちょっと自虐が過ぎるんじゃないですかね。自罰かな。

 

・一たび「こいつはこう」と認知してしまったら、そこから抜け出すのはとても難しい。まして、それが共通認識となった集団に属しているとなおさらだ。さらに、その「こう」の内容が悪口に値するものだったら、それを覆すことはもっと難しく、すべてのオセロを白にひっくり返すことはほとんど不可能と言ってもいいだろう。

 

・「カスキャラ」「クズキャラ」認定された対象が受ける、多様な無理筋の悪口が、私はとても嫌いだ。「こいつはそういうキャラだし」で過剰に貶められる風潮が、大嫌いだ。そういうのに乗っからず、それは違うんじゃないかと声を浴びたときに浴びる「ノリが悪い」扱いや論点ずらしに対し、私は非常に不愉快な気持ちになる。とてもアスペ的だけど、この姿勢をまだ私は正しいと信じている。なにが言いたいかというと、一回イギリスに行って飯を食っときてぇなって話だ。鰯のパイやらウナギのゼリーやらをネットで見聞きしただけで、したり顔で「イギリスで一番うまいのは中華料理」なんてほざく輩になりたくないので。

 

・まあ、森羅万象に対して真摯でいようなんてのは、それはとても難しい、どころか無理のある話だけども。極論、リモコンの原理を理解していなければそれを使ってはならない、みたいなことだからだ。印象、伝聞、あるいは信仰で物事を判断することを禁じられると、途端に人生は窮屈になる。周囲に溢れてる対立やレッテルを見て、どれにまじめに向き合い、どれを鵜呑みにするのかも、結局は印象で選択するしかない。だから、集団を否定し、見限り、結果的にそれが正しかったのだと判明しても、あまり自分の姿勢がすべて正しかったと思うのも、それはそれでよくはない。