せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

201122日記 フィルターから尊敬

・日曜日が終わってもまだ休みが続くというのは素晴らしいですね。祝日による天然モノの三連休には有給による養殖モノとはまた違った良さがある。養殖は世間に対する優越感や自分だけ休めるという特別感がたまらないけど、しかしせっかく休みを取ったのだから『何か』せねばと肩肘を張ってしまったり、1日を振り返って大したことできなかったな、なんて後悔をしがちだったりと、どこかで過剰に『休み』を意識するあまり平穏な休息が得難い。一方で祝日による天然モノの連休。口を開けてれば手に入るこの幸福は、世間と比べて優越感を得るなど当然できないけども、その分フラットな、平坦な『休み』を満喫できる。結局、休息とはそのまま息を休めるために存在するのだから、気持ちの面でも平坦であるに越したことはない。特に三連休であればだいたい月に一回程度は存在し、ゆえにさほどイベント感もなく、肩肘を張ることもない。もちろん、養殖モノが作り出す、休みに対するバイタリティは人生を充実させたりとそれはそれで良いもので、どちらがどうということではないけども。

 

・勤め人かつ暦通りの休日を与えられ、そして有給もそれなりに取れる人間による、もしかしたら多少贅沢ととられる論理だ。というかアレだな、私が『そう』じゃなかったら↑の論理はむかつくな。祝日による休みが「口を開けてれば手に入る」のあたりとか。いや、自身の就労環境に根ざす怒りを他人にぶつけるのは大人としてどうかとは思いますが、怒りとは口先でなくなるモノでもなく、結論としては心中に留めておくのが一番かと。

 

・尊敬って言葉、なんか距離ありますよね。LEACHにいるヨン様じゃないけども(憧れは〜云々)。例えば「尊敬してます!」と「本当に大好きです!」だと後者の方が心の内を語ってくれてるのかなと感じたり。何だろう、私にとって『尊敬』って言葉は一度フィルターをかけないと出てこない単語なのだ。その分ストレートじゃないというか。私だけだろうか。

 

・すべてがそうではないけども、照れ隠しやお為ごかしでわざわざ言葉をえらんだ結果として『尊敬』って表現になる場合もある。そこが受け取り手にとっては好意を伝えられてるはずのに本心にはモヤをかけられたようで、余計に距離を感じてしまうとか。

 

・もちろん、本当にその人を称えて『尊敬』と評するのが一般的で、その場合は距離なんて感じる方がおかしいのだろうけど、対等な立場なのに親愛の表現として『尊敬』なんて使われてしまうと、どうしてもね。慇懃無礼とまでは言わないけども。