せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200913日記 言葉を尽くす

・日曜日終了。大丈夫、私にはまだ明日が残っているので。やはり取るべきは月曜日の有給だ。

 

・左の人差し指がタイピングにも支障が出るレベルで痛い。この指、生まれつきちょっとだけ特殊な爪の生え方をしており、切り方をミスるとすぐ巻き爪になってしまうのだ。おまけに爪の厚さが他の指に比べて二倍ほど(その分幅が小さい)で、痛みもひとしお。無理から皮膚に食い込んでいる部分を切除したが、痛み自体は消えてない。数年前に一度剥げたのだけど、全く同じ生え方をしたので多分一生このままだ。

 

・アヒージョなんて洒落たものを晩飯にした。美味しいっちゃ美味しかったけど、食いではやっぱりないね。そしてアヒージョと言ったら酒だろと家にあった安物のウイスキーを飲んだが、酒が悪いのかチョイスが悪いのかイマイチピンと来なかったな。あんまり『お酒にあう』って感覚がわからない。だいたいパンかご飯の方が合うでしょ。

 

・書くことがあんまりないので積みネタの消化をば。ネタ帳の一番上には『答えがないから、考える。その人なりの答えが出たら、それがあってるかどうかなどそうそう考えない。それが勘違いだったとして、正すためには言葉を尽くすしかない』とのこと。

 

・はて、何かの諍いを見てのことだったかな。まず前提、私の基本的な考えとして『論理的帰結は常に一つ』というものがある。何か問題があったとして、一般には『答えは一つじゃない』なんてことを言われるけども、論理的に考えを積み上げた場合に行き着く場所は一つしかなくて、あとはそれを採用するかどうかの世界だと思う。確かに多くの場合に答えは一つじゃないが、それは感情や感傷を盛り込むんだ場合の話だろう。

 

・で、一般に思想というのは論理を持って叫ばれることが多い、と思う。『感情に理屈をつける』みたいな話で、素朴な感性から生まれた要望も何がしかの論理を積み上げてから、それを根拠に要求される。なかなかこのご時世、ただ不快というだけでは要望が通ることは少なく、この主張を通すべきであるという論理的理由が求められるだろう。

 

・材料が同じなのに対立する答えが出てしまった場合。異なる主張が生まれた場合。論理的帰結が常に一つなら、そんなことがあり得るはずがなく、どこかにミスが発生していることになる。だから言葉を尽くすことは、対話は重要なのだ。でなければ、ただ相手が間違っていると、自分は正しいと繰り返すしかできなくなる。怖いのが、片方がそれを拒否するだけでどちらもそうなってしまうことだ。