せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210102日記 羅生門

・土曜日終了。三ヶ日がすごい勢いで溶けていく……。そばも雑煮もおせちも食べてないせいかお正月気分は皆無もいいところなのにな。明後日にはもう仕事ですよ、ああやだやだ。

 

・“羅生門“っつったらもう圧倒的多数の人間が芥川龍之介の『羅生門』をまず思い浮かべる。実は正式には“羅城門”で“羅生門“は当て字だから……という雑学もあるけれど、そもそも“羅城門”の方を知ってる人間が多くないのだから、芥川龍之介の『羅生門』の知名度を疑う理由にはならない。なんでここまで有名かって、それはもう「国語の教科書に載っているから」と断言してしまってもいいだろう。別にそういうソースがあるわけでもないけれど、小〜高のどこかの教科書には出てくるんじゃなかろうか。『山月記』然り。そういえば、この辺りの作品を知らないだけでその人を無教養扱いする風潮が一部にあるけど、教科書に頻出するような作品だと「別に自分で調べたわけでもない、たまたま普通に生きてればそれを知れる環境にいただけ」の人が多いんだから、教養の有無じゃもはやないと思うんですよね。

 

閑話休題。私も例に漏れず、芥川龍之介の『羅生門』(めんどくさいので以下『羅生門』)は授業に出てきたから仔細を知った側だ。高1だったと思う。もはや『国語』じゃなく『現代文』だったかな、忘れた。ともかく、授業に出るということはその中で読解を求められるということでもあり、一つ覚えていることがある。そう、今更だけどこの一連の文章は、私の思い出話だ。

 

・授業一コマの半分ほどの時間をかけて考察することを求められたのは、「にきび」についてだ。忠実に書くと「面皰」か。問題の詳細は思い出せないけど、「最後、下人が面皰から手を離した理由は」か「物語において面皰は何を表しているか」のどちらかだったと思う。クラス一人一人が発表していたら授業の時間が足りなくなるから、6人1班くらいで話し合った結果を発表しましょうとか、そんな感じだった。

 

・私の班が発表した答えは、こっちはある程度覚えている。「『面皰』は『正義心』を表していて、それを気にしなくなったから下人は悪事を働いた」みたいな感じだ。私の班が、とは言ったけど、実は全ての班がこの答えで、私はそれが気に入らなかった。理由は二つだが、気に入らないのは一つだけだ。その答えに至る過程が気に入らなかった。

 

・『面皰=正義心』という答え自体には、さして異論はなかった。他の言い方もあるとは思うけど、どれもニュアンスとしてはそこまで変わらない。ただ、そこに行き着く過程が「『下人がずっと触っていた面皰から手を離す→悪事に手を染める』の順で描かれているから、じゃあ『正義心』でしょ」みたいな流れで、なんというか答えありきのメタ読みなのが気に入らなかったのだ。マクガフィンではないけども、その考え方であれば別に面皰である必要はない。問題に対する考え方としては一定通ずるものかもしれないが、物語に対する読み方としてはどうなんだと、そう思ったのだ。

 

・私の持ってた答えとしては、「面皰を気にするということは、他人から見られることを気にしているということ。面皰から手を離したのは他人目を気にしなくなったということで、だから悪事を働けるようになった」だ。別に「悪事を働く決心をつけたから、他人目を気にする必要がなくなり、だから手を離した」でもいい。重要なのは一文目だ。まあどっちにしろ別に面皰である必要はないけども、他人から見られて気になるものには限定される。現代なら前髪とかになんのかな。

 

・じゃあなぜ、その回答が通らず、他の班と全く同じ答えになったのか。気に入らない理由の二つ目だが、「みんなと同じ回答だからこれでいいだろう」と全員が思っていたからだ。あってるか間違ってるかなど関係なく、「みんなそれで発表するから、うちもそれで行こう」となったからだ。別にそれに異議を申し立てるほど真剣ではなかったけど、モヤモヤしたのは覚えている。