せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210813日記 最小の定義

・金曜日、終★了。やっぱあれですよ、金曜日っていうのは終わってくれて初めてうれしいものなのですよ。ただ金曜日になったってだけで朝からキラキラ言い出す人間とはそこが相容れない。明日が休みってことでなんとなく気が緩んでいるのかもしれないけど、基本的にはただの平日だからな。

 

・私はわりと論理的正しさやらを気にしてしまうタチで、あらゆる意見の相違は「どちらかの論理の瑕疵」か「問題を分解していった末の価値観の相違」のどちらかだと思っている。前者は簡単な話で、途中式が間違っているから答えも間違っているけど、そこを正せば同じ答えが出るパターン。後者は、そもそも『1+1=2』という根幹の定義の部分から相容れないパターン。こちらはもうどうしようもないのだが、しかし「どうしようもない」で終わっているのをほとんど見たことがない。定義そのものをまた分解し、その論理的正しさを、あるいは正しくなさを証明し、それをもって論争に勝とうとするのだ。ただ、その行動で相互理解が得られることはない。エジソンの泥団子のように1+1=1であると言い張ったところで、1+1=2という定義を持つ人間はそれを採用しないし、正しいとは言わない。

 

・例題「なぜ、人を殺してはいけないか」。1.「法律で決まっているから」、2.「道徳的に許されないから」、3.「人を殺していい世界では自分も殺される可能性が高く、自分の死は避けなければならないから」、4.「罰則に見合わないから」。思いつくのはこれくらいだが、どれも「正しい」とすることができ、そしてその判断のもととなる定義が明白だ。「法律に従う」「道徳を守る」「自分の死を回避する」「損になることはしない」。ここで、じゃあ例えば4.の人間が「人を殺さないほうが損となる」シチュエーションを想定した場合、当然彼は「その時は人を殺す」という意見になるだろう。他の3人が彼のこの意見を覆させるためには、「損になることはしない」という彼の定義から、それぞれ自分と同じ定義を「正しい」と宗旨替えさせるしかない。そしてそれは、とても難しい。

 

・要するに、私は社会的弱者だろうとなんだろうと人間と猫であればどんな場合でも前者を優先すべきだという意見だが、それは人間の価値と猫の価値を定量的に斟酌した結果だとかから構築した正しさではなく、「そういうもの」という定義を採用していて、件の彼が同じ道筋で逆の結論を出したというのなら、それを覆すのは難しいだろうなと言う話。もちろん、価値や効率、社会の在り方といった部分まで構築して人間の大切さを証明することは否定しないが、それで説得はされないだろう。たぶん。