せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

220310日記 20と論理

・木曜日終了。西尾維新20周年とのことで。シリーズの大半に触れている(大半を読んでいるとは言ってない)ファンとしては、素直におめでたいですねの一言だ。ついでに伝説シリーズ開始から10年経過しているとも聞き、今度は時の流れに慄くなど。西尾維新は途中参加だが、伝説シリーズは発売当日に購入している。西尾維新に触れたのはそのおおむね3年くらい前だったと思うから、20年の半分以上はファンでいるということになる。そこまでとは思ってなかったよ。

 

・初めて読んだのは、物語シリーズだったはずだ。そこから当時刊行されていた西尾の著作はほとんど読むくらいには没頭した。あまりその自覚はなかったけども。西尾に限らず結構な物量を読んでいたので、あれば優先順位の上位に挙がるけど、その作者のファンであるという自覚はなかったのだ。翻って、現在はファンであるという自覚はあるものの、物語シリーズも途中で投げ出してるし、最強シリーズや忘却探偵は初期の方しか読んでいない。「著作をほとんど読破済み」の状態は「ファンのつもりがない」初期だけだった。確か、ニンギョウとニンギョウに関しては値段から当時の私には手を出す気が起きず、ノベライズ系はことごとく原作に興味がなかったので読まなかった感じ。

 

・気に食わない意見は多数派だろうと熱に浮かされているだけで、これだと思う意見は少数派だろうと冷静で的確な判断の元だと論じてしまう人! 生きやすそうでなにより! よそに害をもたらさなければそのままでいいですよ! 無理だと思うけど! 絶対に!

 

・「正しい」理由が「少数派である」 だけであれば、それは結局数の論理である。目に映るすべての対立に対して理屈によって正誤を判定することが不可能なのはその通りだし、特定の事柄に対して数の論理に身をゆだね続けるのも仕方ないけど、せめて、今自分は多数派だからという理由で多数派に立っているという自覚は持っとくべきだよねと、これもなん回日記で書いたことだろうね。

 

・どちらかに付くことの間違いを受け入れられないばかりに、数の論理にすら身を任せられなくなったら、それも結局思考停止で、正しさには絶対にたどり着けない。態度としては、ともすれば妄信よりも哀れなのに、たぶんそれにも気づくことが出来ず、賢しらに振舞い続ける。発端にはたぶん悲しいことがあったのだろうが、もう同情はできそうにない。