せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210303日記 まだ眠たい

・しんどい!!!!! 眠たい!!!!! 昨日の日記でも眠てぇ眠てぇ書いてるが、なんとあのときから今までの合計睡眠時間は3時間と少しだ。逆に昨日より頭が働いてる気がしてて、たぶん良くないやつ。なにせここまで文章を打ってのミスタイプとそのスルー量から、頭が働いてるってのは間違いなく気のせいだ。自分の不調にも鈍くなっているというのは、明確によくないやつだろう。

 

・巧い言い回しが巧い言い回しでいられる期間というのはすこぶる短いので、巧い言い回しがその巧いからバズってるのを見かけたときは、とりあえず「そのうち廃れる」だの「すっかり陳腐化したね」などと言っとけば、目利きの世相読み気分に手軽に浸れる。浸れるけど、この行為に意味はないです。

 

・とりあえずなんか批判しとけば批判しない誰かよりも上等な人間になれたような気になるやつ、あの快楽を素直に受け止められるやつってどのくらいいるんだろう。なんやかんやで引け目とか自虐とかが入る(「上等な人間になれたような気になる」というのがまさにその典型なのだけど)ような気がするのだけど。要するに、人様にケチつける行為から自省を導かないなんて厚顔無恥な人間はどれくらいなんでしょうねと。

 

・批判も賞賛もどちらも評価だから、それ自体にどちらがどうというのはない。勢い余ってことさらに批判行為を批判するのは間違いだと、そう思ってる。思ってるが、それを受けた側の心情というのも確かに存在するし、そうなると与えた側が持つべき自覚というのもあるだろう。批判と賞賛の同一性、それらの持つ影響、影響に対する自覚、それぞれは繋がっているものの、しかし判断は別個に行われるべきだ。そして、どれかに対する判断結果を、また別の問題への判断材料に使用してはならない。

 

・自らが少数派であるという事実は、自らの立ち位置を見直す契機にはなれど、立ち位置を変える理由にはならない。ある過去の案件について頭を働かせていたとき、ふと浮かんだ言葉だ。出どころは不明。どこかで聞いた言葉かもしれないし、私が考えた言葉かもしれない。

 

・風見鶏とその不誠実性が大嫌いだ、たぶん私は。もちろん、多数派に従う動きには一定の合理性があり、合理的に振る舞うことを非難される謂われはないだろう。だからこの気持ちは、流動する局面において長く少数派にいた経験から来てるのだと思う。それが無かったら、少なくともあの言葉が浮かぶことはなかっただろう。