せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210409日記 怒っているようだ

・金曜日終了。待ちに待った週末だけど、別にすることもないんだよな。なんで待ってたんだろうね。いや、労働が嫌だからに決まってるんだけど。一応、さすがに外に出る予定はあるっちゃあるのだが、ぶっちゃけ朝の気分次第では予定潰すまであるんだよな。いつものあの『今すぐしなくても別にいい』くらいの用事なので。

 

・ずいぶんと日記を書くのが遅くなってしまった。時刻の話ね。無茶苦茶仕事が忙しいとか、夜の付き合いに顔を出してたとか、そういうわけではまったくない。もちろん、年度が明ける前と比較すれば圧倒的に忙しなくはあるのだけど。

 

・観測圏内にやたらと労働が忙しそうな人がいるせいで、その人よりも圧倒的に暇な自分が軽々に似たようなことを言うのもな……みたいな気持ちがある。申し訳ないってわけではないけど、人は比べてしまう生き物なので、あんまり言ってられないなと。もちろん、目の前の人間が自分より重傷だからといって、それより軽かろうが自分の傷がなくなるわけではない。あなたの腕がひしゃげてようが、私の骨にひびが入ってる事実には変わりないし、これも治療が必要なものだ。さすがにこれがさかむけ程度なら口を噤んでおくけれど。

 

・いつも冷静な人が、どうやら誰かに対して怒っているようだ。となると「珍しくあの人が怒っているということは、たぶん相手が悪いんだろうな」と考えがちだけど、別にそうとは限らないよねという話。その「冷静な人」がどのような理由でいつも冷静にしているのか次第だけど、ポジショニングやマウントの手段として「怒らない」を選択しているのであれば、そのときは非常に怪しい。平時では取らない選択をしているということは、少なくとも自覚の有無にかかわらず取り乱しているということで、そんな状態の人間の言葉なんて真に受けるに値しないだろう。騙されないためには、怒っていようが冷静だろうが関係なく、言ってることそのものはおかしくないかを気にすることだ。誤謬、詭弁は意外とわかる。怒ってるときにそれらを使っているのを見たら、さっさと見下すに限る。

 

・理屈に、仁義に、倫理に基づかない怒りなどいくらでも、そして誰にでもある。自分に理を強いる人であろうと、だ。感情とはそういうもので、自分の怒りには常に正当性があるなんて勘違いをしてしまうとよくない。なにがよくないかって、勢いに任せてのむちゃくちゃな放言も「自分は正しい」という結論があるがゆえに「正しい」言説と勘違いしてしまうからだ。お前がどんな理由でそれを言ってるかは知らないが、その言葉そのものは正しくないんだよと、言っても聞く耳持たないのだけど。