せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210803日記 煽られ、サラダ

・火曜日終了。まだ火曜日かぁ……。例によって明日を木曜日だと勘違いして考え事を進めてる瞬間が何度かあり、謎に疲れていることが判明した昼下がり。ここのところヒマだし、先週休んでなけりゃぁそのまま有休とって帰ってやってもよかったけどね、いくらなんでもそれは仕事に対する姿勢を疑われちゃうからね。成果さえ出してりゃ姿勢はどうでもいいって場所じゃないので、目を付けられないようには振る舞いに気を付けている。気を付けてるっつってもほんのちょっとだけで充分だけど。

 

・ジャンプ……というか集英社系列の編集部、一部の人からえらく信用がないみたいで、なんか見てて引いてしまう。なんだってそこまで憎悪をこじらせてしまったんだ彼らは。「作者から申し出があった」ってんならそうなんだろ。そこを疑うのは単にそっちの偏見じゃないか。まったく、いったい誰があんなになるまで煽ったんだ。はい、SNSで散見される「嫌い」のだいたいは誰かに感情を煽られてしまった悲しきバカの鳴き声だと思っています。

 

・そういった謎に頭に血を上らせた意見のなかから、ああこの人はまともだなとか、言ってることは賛成できないけど真に冷静ではあるなとか、私から見ていわゆる「ちゃんとした」人を見つけたときの安堵感ったらないけども、多くのストレスを乗り越えて安らぎを求めに行く行為、心の健康にはトータルで良くないんだろうな。いやさ、そりゃ数は正しさを担保しないと肝に銘じていてもですよ? じゃあ少数派の自覚を得たまま自らの間違いの可能性を一考だにしないってのもまた健全じゃないわけで、カスにしか見えねぇ論理でも積み重なってりゃ否応なく検討の余地が生まれてしまうんですよ。

 

・別の話。私が作り得る料理の中でもっとも難易度が高いの、たぶんサラダ。揚げ物でも煮込み料理でもなく、サラダ。理由はいくつかあって、まず自分でハードルをあげている。安い店ではたまに一種の野菜(キャベツやらレタスやら)にドレッシングをかけただけのものを「サラダ」と名付けていて、定義的には間違ってないのかもしれないけど、少なくとも自分で作る限りはそれをサラダとは認められない。「皿に乗った生野菜」だ。

 

・次に、見た目。これもハードル高い高い案件だが、ある程度の見栄えが無いとやはり「皿に乗った生野菜」にしか見えない。だいたいだ、調理過程がそもそも皿に野菜を乗っけるだけなのに見た目にくらい気を付けないでどうすんだという話である。なんだったら皿もちゃんと「映える」やつでないと。

 

・そんでもって、高い。数種類の野菜を買って、彩りも考えて、見た目にいい皿も揃えてってなると、野菜の消費期限も考えるととてもコスパが悪い。ただ野菜を接種するだけであれば、「皿に乗った生野菜」を作るだけであればコストは格段に落ちるので、そこのところも心理的難易度をあげる要素である。

 

・最後に、別に野菜が好きじゃない。私がもっとも嫌いな野菜は「酢豚のタマネギ」であり、生野菜自体はそこまで嫌いではない(もちろん生噛りとかになると話は別だ)けど、こう、労力を押してまで好きじゃないもん作りたくねぇなって。日持ちもあんまりしないし。一時期なんか瓶詰のサラダみたいなのが流行ってた気がするけど、ちょっと考えられない。冷蔵庫でちゃんと保管して雑菌にも気を付けてりゃあ持ちはするんだろうけどね。あれ、まだやってる人いんのかな。