せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210802日記 バック

・月曜日終了。牛肉の安売りを見かけたらすーぐ大量の肉豆腐を作ってしまう癖があり、たぶんこれ水曜日までは間違い無く残るだろうな。我ながら学習しないと思うけど、そもそも別に腐らせたり飽きて嫌になったことがあるわけでもなく、失敗の記憶になってないから改善もしないのだろう。

 

・甘辛い味付けの、牛肉、味の染みた豆腐、えのき、シイタケ、白滝。もうね、構成要素が全て好き。カレーにおけるニンジン・ジャガイモみたいな「別に嫌いではないけど、別に好きってわけじゃない」要素が皆無で、それで十分美味しくなる、私にとって奇跡のような料理だ→肉豆腐。塩分と脂質の面がネックだが。栄養もたぶんあんまりない。

 

・ルックバック、修正ねぇ。話題になった統合失調症周りへの配慮なんだろうか。具体になにがどう問題だから修正しましたとは書いていないけど、声明として「偏見や差別を助長する」で、修正内容もまさにあのあたりだから、まあ、そういうことなんだろう。私はそう思うことにする。あ、京アニの事件も絡んでるのではとは考えたけど、それは却下で。それこそ「例の事件に対する追悼の側面」こそハナから「描いていない」ことだし、修正にあたっての声明から読み取れる要素も皆無だ。もちろん、修正前の表現が事件を想起させること自体は否定しないし、今回の修正によって事件への距離は遠ざかったと感じるけど、だからといって事件への連想を問題にしての修正だとは限らない。というか、そちらの説の論拠はあくまで「修正によって連想から遠ざかった」のみであるため、妄想や邪推のレベルだとも思う。

 

・前の日記にも書いたけど、発端となった専門家さんの意見については、私は特段否定的ではない。「糖失」「統を失ったな・・・・・・」「なに言ってんだアルミホイル巻け!」みたいなのがジョークとして確かに存在していたり、様子のおかしい人間が観測されたとき、その行動の軽重に拘わらずすぐに「統失かよ」みたいな侮蔑が当たり前のように飛ぶ場所があることを知っている以上(そしてそういう場所は決してアングラとは限らない以上)、統合失調症患者への偏見や良くない風潮をなくしたい、助長させたくないという意見に関して否定的になる要素がない。そのうえで、ルックバックのどこにも「あの犯人」を統合失調症だとは描いてないのに、作品批判から入ったのはよくないんじゃないかなと、私はそう感じていた。「描いてない」のだもの。

 

・なお、この「よくない」は「そういう批判そのものが統合失調症への偏見を助長させるからよくない」という意味『ではなく』、単純に「描いてないことを描いてるとして意見を展開させていくことそのものがよくない」という意味だ。確かに存在する問題に対する問題提起をタネに偏見を発露させるなんてのは、その発露させるやつの人間性が悪い。

 

・で、現在。結果として修正はなされた。修正が妥当かどうかは・・・・・・どうなんでしょうね。例えば最初っからこの表現だったとして、たぶん私の感想に変わりはなかったと思う。あくまで私は、だが。上述のとおり、例の事件への連想は薄れたとは思うけど、「多くのクリエイターの命が」「理不尽に失われた」という点は変わらないし、なんにせよ想起はしていたのかなと。で、統合失調症への連想は起きない。面白さに変化はなく、問題のある表現はなくなった・・・・・・であればまったく問題無い。もちろん、「修正がなされた」という事実そのものが作品を読む、あるいは考える上でのノイズとなるから、最初っから配慮をしておくのが一番いいし、そもそも、修正後の表現にはなんの問題もないのかってのはまた議論が発生するところだけど。

 

・一度受け入れられ、世に出された表現を修正するのは問題無いのか。どっちかっていうとここが論点として大きいと思う。私なんかは統合失調症への偏見問題はそれなりに重く(というか不愉快に)受け止めているから、修正内容も含めて妥当だとは思うけど、もちろんそうでない人もいて、表現の自由なんかと接続されたらまたやっかいなことになるんだろうなと。ああいう意見があって、会社も作者も納得のうえで修正したのであれば「表現の自由」の出る幕なんてないけれど、そんな内幕は把握のしようがなく、正直する必要もない。

 

・問題なので修正しましたと言うのなら、ちゃんと「なにが問題で」「この部分をこのように修正しました」という声明もセットでないと、問題そのものが透明化してしまうのでは、という意見も見た。「なにが問題だったのか」は確かに私も知りたいところで、おおむねにおいて同意するほかないのだけど、そのうえで、ごく個人的なこだわりとして、それをしてしまうと「ルックバック」という作品が「統合失調症への差別問題」に取り込まれてしまうと思っていて、だからあまり賛成はできない。差別問題は確かに重要だと思うからそこを否定は決してしないし、修正した判断も間違いではないと思う。ただ、「ルックバック」を使って差別問題の解消にまで乗り出すのは違うだろう。具体な問題箇所とその理由の表明はそれを招くと私は思っている。一度「問題のある」表現を世に出した以上、問題解消への責任は生ずるという意見もわかるけど、作品の責任は修正した時点で終わりでいいんじゃないだろうか。広めてしまった(とされる)差別への対応は今後別の作品を通して行えばいい。