せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210312日記 感度の違い

・金曜日終了。なんか今日はずっと鼻がむずむずしている。花粉症ではないと思うのだけどな。別に強がって認めてないとかではなく、いや確かにアレルギー検査は受けてないのだけど、一般的に花粉症って鼻だけじゃなく眼にも来るらしいじゃないですか。私は症状が鼻だけで、それもたまにむずむずする日がある程度なので、じゃあ違うかなと、そんな短絡的な理由。軽度のアレルギーだろうか。

 

・興味ない話はしなくていいし、不愉快であればシャットダウンしてもいいのだけど、人間関係はそれを許さないよねと、そんなことを考えてた。そんなところに煩わしさを感じてもしょうがないし、おおむね上手くやっている人が多いのだろうけど。

 

・個人的に思ってるのだが、ネット上の人間関係はわりとほかのと比べてもめんどくささや難易度が上位じゃないだろうか。もちろんこれは私の偏見で、私がネット上でみかける人間関係の多くが「そう」というだけなのだけど、例えば話題が大仰に過ぎる。ごく個人的な、身の回りの生活のことなんかも話はするだろうが、盛り上がるのはやはりニュースになったあれやこれやの話だ。もちろん現実世界でもそういう話は出るけども、それに対するスタンスがどうこうで関係が変化することなどそうないし、重要度で言えば休日になにをするかのほうが高い。

 

・言い方が難しいのだけど、なんというか、ネット上のコミュニティはニュースに対する距離が近いのだ。たぶん、ニュースを作り出す記者や当事者に対しても。現実世界を生きてるうちは(ネットも現実のうちなので、現実⇔ネット……という表現は適切じゃないと思ってるのだけど、わかりやすさ優先で)、おおむねのニュースは遠くの他人事で、ましてそのニュースを出した新聞社やその中で働く人はさらに遠くに感じると思う。だけど、ネットで目にする荒れやこれやに対しては、思わず浮かんだなにごとかを誰かに聞かせてもいいと思うくらい、ぐっと距離が近くなる。だからスタンスが違う他人を受け入れがたくなるし、立場が人間関係に左右される。言いたいことも言えなくなる。

 

・「極論、全部どうでもいいんですよ」みたいな言説がネットではちょくちょく語られるけど、それがカウンターのように語られるということは、「どうでもよくない」と思っている人が多いということだ。しかし、そこがネットでなければ、そんな冷笑的な態度を取らなくても、だいたいみんながどうでもいいと思ってて、そのように振舞っている。

 

・当たり前だけど、みんながみんなそうではない。正しくネットを現実の道具として使用し、どちらだろうとアンテナの感度に変わりはなく、そしてどちらでも変わらぬ思想の強さを振り回す人はいる。たぶん「そういう人」のせいで、ネット上でだけ感度と感受性が高くなる人が出てくるのだ。根拠はなにもないけど。