せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210218日記 まともに向き合う必要なし

・木曜日終了。大量のほうれん草を食い、歯がキシキシしています、今。常夜鍋が旨いのが全部悪い。まあそれにしたって半量は小松菜にしとけばよかったなと軽く反省中。口の中の違和感ってやっぱストレスとしてデカいからさ。

 

・地味ーに徹夜明けだ。緊急のあれやこれやで職場に向かったのが昨晩の20時ごろ、幸い晩飯と日記は済ませてあったが、風呂に入れてなかったのがちょっと嫌だったな。一応仮眠は取れたので今はそこまでしんどくないが、たぶん今晩は早めに寝ないと明日の朝がしんどいことになる。仮眠っつったってね、昼間だとどうしてもいつもの半分も寝れないのだ。それでも1時間単位で寝てはいるからなんとなく睡眠十分みたいな錯覚を得るけど、全然そんなことはない。

 

・お気持ち長文。流れてくるのはだいたいどっかしらに瑕疵があったりして、賛同云々以前に誠実に向き合う気すら失せることが多いのだけど、なんでそんなんばっかなんだろうか。キレたからでネットで長文垂れ流そうってやつがまともな長文を書ける状態なわけがないからか。

 

・一昨日くらいに見たシャニマスのもそうだったな。というかあれを読んだからこれを書いてるのだけど。あるキャラの紹介文における単語のチョイスがどうなんだ、私はよくないと思う……までなら私も賛同できたのだけど、やれ出版社批判やら二次創作批判やらを繕うこともせずにまとめて一緒にして記事としてぶち上げてるものだから、もうその時点でうんざりだ。冒頭に「理性的に」なんてワードを使ってるが、残念なことにまったくそうは見えない。汚い言葉を使ってないというだけだ。

 

・この意見が絶対唯一の正義である、みたいな雰囲気が漂うお気持ち長文は、もうその時点で眉を唾でベッタベタにしとかなければならない。そこに書かれてるのはただの個人的な意見・主張であり、そしてたいていの場合事実の誇張や意図的な誤認、アジテートが含まれているからだ。要するに、なにが起こったのか。どこまでが事実でどこからが意見か、事実の中に偏りが含まれてないか、そういったことを読み取らなければならず、そしてそのうち思うだろう。別にまともに向き合う必要ないなこれ、と。

 

・件のnoteに関してもそうなのだけど、日記で取り上げちゃったから一応私の意見を書いて〆よう。

「言葉のチョイスが悪い」→確かにそれは読んで思った。続く詳細な紹介文は妥当なものだけど、それは冒頭のミスチョイスを無きものにするものではなく、同時に、ミスチョイス自体は紹介文全体の評価を0にするものでもない。総合的には良い紹介文だと私は思う。しかし事実の誤謬に関してはよくないね。

「公式批判」→出版側に責任があるのは間違いないが、杜撰だの蔑ろだのと書くのは明らかに間違い。公式であることを自覚しろ、読者の声に耳を傾けろだのなんだのは「相手方がそれをしておらず」「特にそれをするべき問題である」ときにのみ言うべき言葉だが、そもそもそこまでの問題じゃないだろう。糾弾の声をデカく言葉を強くすれば問題自体が大きく見えてしまうが、それを意図したように見える(アジテート)し、そうじゃないとすれば冷静になったほうがいい。大した話じゃないから、まじで。責任を問えるようなもんじゃない。
「二次創作汚染、なんで○○ばっかり……」論外。これこそまともに向き合う必要のない意見で、運営への糾弾と同じ記事でこの問題を取り上げるのは、どういうつもりか知らないがやり方として良くない。運営のミスと二次創作での扱われ方は完全に別問題。公式としても「知らんよ……」としか言えんでしょう。