せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210624日記 ぷかぷかですよ

・木曜日終了。残業した日は帰宅時間を日記執筆に当てましょうかね。座れるし。時間もったいないし。朝、可能な限りギリギリまで寝ている私にとって、平日一日の自由時間とは終業後のこのかけがえの無い時間のみのことなのだ。残業で削れたのなら、他のなにかで補わなければならない。まあ、通勤時間はそんなに長くないので、1000文字書き切れることはたぶんないのだけども。

 

・そういや米炊いてなかったな。帰ってから炊かなきゃなのか……。うう、めんどくさい。外食に逃げたい。ウーバー呼びたい。我慢するけども。これには色々理由があって、まずウーバーだの出前館だのは純粋に割高なのでイヤ。あと時間が経ったメシをあんまり食いたくない(それ用の弁当ならまだしも)。普通に外食するのは(何度か日記で書いてることだけど)店選びやらなんやらがなんだかんだでめんどくさく、時間もかかる。まあ、外食にはその辺りを補ってあまりある魅力はあるのだけど、単純に自制心を保つ意味でも「作るのがめんどくさいから」という理由で外食をしないように心がけている。

 

・「一度楽な方に流されると、その後ずっと楽をするようになりそうだから我慢する」という、とても賢明には見える心がけ。どうなんでしょうね、そりゃ我慢することそのものは立派だけど、その前提には「楽をするとそれに流される」つまり「楽を覚える」という弱みがあり、心がけから感じる「立派さ」の何割かは「弱みの自覚とその開陳」が含まれてるように思うのだけど、そもそも、「楽を覚えない」人の方が珍しいわけで。人間が通常持っている特性を「弱み」と称し、それを前提に評価するの、なんか詭弁って感じがしません? 私はする。

 

Twitter上で、いつもは政治的なことや時事的的なこと、いわゆる「荒れネタ」は触らないようにしていた人が、不意に五輪への嫌悪感をのぞかせてるの見ると、うわちゃってなっちゃいますね。漏らしちゃったかぁ~って。

 

・人には内面があり、意見がある。当たり前の話。動物アイコンでもアニメアイコンでも等しく向こう側には人間がいて、話題の案件であればその人も耳にしてる可能性は高く、そうであればなにがしかの意見を有している。そのうえで、なんらかの自意識によって「意見を表明しない」を選んできた人が、とある案件にはそれを選ばないとなると、その裏になにかあると思うのは当然だろう。「表明しない」を貫けなかった理由が。

 

・そもそも「表明しない」理由というのは、少なくともTwitter上だと大半が「変な色を付けて浮きたくない」だろう。9割はそうだと思っている。ソースはない。で、じゃあそういう人が政治ネタを不意につぶやいて、それが嫌悪を滲ませてるものだったら、「表明しない」を貫けなかった理由というのはなにになるのだろう。……単純な話、「周りも同意見だと感じたから、浮きはしない」だ。五輪は中止すべきだ、強行する政治家は最悪だ、そんな空気を感じた「から」、これなら意見を出しても浮かないと、そういう判断だ。まったくもってガキのようですね。周りしか見てない。