せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210610日記 間違った議論

・木曜日終了。在宅勤務の誘惑は断ち切り、しっかり平日5日間を勤め上げる決意を固めた私だが(在宅でもちゃんと働け)、しかしそんな決意を知る者はおらず、そもそも週に5日働くのは社会人の基本スタイルであるため、完全に取らなくてもよい独り相撲だった。

 

・成功体験、大事なんですってね。それがあるとないとでは人生が大きく変わるらしい。なんでも、成功体験をバネにいろんな物事にチャレンジすることができるとか。試行回数が多くなれば成功回数も増えるというのは、これは道理だ。一方で、その成功体験が失敗のもとになるケースもあるとか。ああいや、試行回数と同時に増えた失敗回数のことではなく。うん、そちらも「成功体験によって発生した失敗」とは言えるだろうが、それとはまた質が違う。要するに、「あの時はこれで成功したから、今回も……!」というやつだ。もうこのセリフの時点で失敗が目に見えますね。こういうフラグもある。

 

・「成功体験は必ずしも良いものとは限らない」と結論づけたくなるけども、そこはちょっとまったがかかる。「それは間違った成功体験だ」派の登場だ。曰く、そのような失敗に繋がる成功体験は、これを成功体験と認めず、間違った成功体験と呼ぶものとする……という派閥。もちろんその理屈に対して「成功体験は成功体験であり、間違ったもヘチマもないだろ」派は反発するが、決着がつくことはありません。話してるレイヤが違うので。

 

・「『成功した』という経験が、その後の積極性の向上に寄与する」というのを主眼とするなら、その成功の内容がどうあろうと関係ない。大きいつづらで財宝を手に入れたとしても、それは成功体験だ。二度目のつづらで生ごみを引かされるかもしれないが、それは重要なところではない。その後がどうあれ、一度目の成功により「積極性の向上」を手に入れているからだ。一方、「間違った成功体験」派にとっては、無視されている「成功の内容」が重要だ。それが今後失敗をひき起こすものであれば、それは「間違った成功体験」であるから。

 

・「間違った成功体験」派の意見を聞くと、「それ、別に「成功」体験に限った話じゃなくね?」となる。成功だの失敗だのつける必要はなく、ただ「体験」とだけすればいいんじゃね?、と。その通りだ。間違った方法で成功することと、正しい方法で失敗することは、どちらもその点では変わらない。だから、「間違った成功体験」なる概念は、ことさら「成功」をどうこうするものではなく、本来「成功体験」の議論の俎上に載せるべきではないだろう。では、「成功体験は必ずしも良いものとは限らない」という結論に文句をつけた「間違った成功体験」派がおかしいのか、と言うと、そんなことはない。そもそもその結論自体が「間違った成功体験」の存在を引き合いに出して「成功体験」の評価を下げているからだ。ということで、議論のスタートが間違ってると、議論そのものがおかしなことになりますねというお話でした。