せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

201115日記 浅い意見では

・11月、半分終了!w  当然年末までも50日をとっくに切っており、笑うしかないな。今年の目標(友人同士で冗談で立てたやつ)はなんだかんだで達成できているが、この焦燥感はそんなことではなくならない。何か確たる理由があってのもののではないのだ。強いて言うなら人生そのものの浪費。

 

・人生の浪費……人生の浪費⁉︎ おっそろしい言葉だなおい。こんな怖い言葉あるかよ。まずなにを持ってしたら浪費でなくなるのかわからない。子孫繁栄か? ガキをぽこじゃか産めばいいのか? じゃあ家畜の生は真っ当なのか?

 

・ああいけない、極論に走ってはダメだ。それは問題から目を逸らすことだから。種を次に残す、血を繋ぐ、そんな生物的な目線を抜きにしても、子供を作り幸せな家庭を築くというのはこの現代社会において目指すべき目標であることは間違いない。場によってその意識の濃淡はあれども。そして、私は社会の構成員の一部としてその恩恵をある程度甘受しており、義務と権利がセットなんて考えはないけども、しかし役割を否定したりするのは筋が違うんじゃないかと個人として感じるわけで。皆員かくあるべしとは思わないが。

 

・反出生主義については、ごめんなさいちょっとよくわからないんです。理屈を突き詰めた考え方だなとは思います。正直に言うと直感的には相当忌避感を感じる(過激なヴィーガンベジタリアン、あるいはタイツメーカーを批判したようなフェミニズムなんかと同じくらいに)けど、私程度がパッと思いつく反論なんて否定し尽くされてるんだろうなと思うとね、それに対抗するほどの熱量はないかなって感じだ。

 

・直感的に否定されがちな主張が、しかしずっと根強く残っているということは、つまり議論が深いところを進行しており、少なくとも付け焼き刃の浅い反論なんてお呼びではないということだ。それがどんなに間違っていない反論だろうが、その程度では議論は終わらないということだ。植物の命は大切じゃないのかとか、萌え絵を規制したところで何にもならないとか、そんな過去山ほど押し寄せた反論では、絶対に止まらないのだ。正しく『歴史が証明している』。というやつ。

 

・流されて間違っちゃった人間に「間違っちゃったね?! 今どんな気持ち?! 謝ったりしないの?! ダンマリ決め込んじゃう?! 人間的だね!? すごくいいと思うよ!!」ってやりたい昏い気持ちが無くならない。実行に移して喜びに変えるのは抑えてるが、我ながら人間的だ。たぶん環境次第ではガンガンにやってただろうことも含めて。