せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210520日記 未完、読み味

・木曜日終了。今週は忙しかったけど、時が過ぎるのは早かったのでまだマシな方でした。ずっと忙しいわ一日は長いわに比べりゃなんでもマシだけども。そっちだったら口内炎はあと2つくらい増えて皿も数枚割ってたかもしれない。

 

ベルセルクなぁ……読んでないんだよなぁ……。これは十分の一くらいの嘘で、中学だか高校だかのときに初めの数巻だけ読んだ思い出がある。びっっっくりするほど覚えてないけど。感想すら忘れたが、続きを読まなかったということはまあ、合わなかったということなんだろう、たぶん。読みたかったがなにがしかのやむを得ない理由で続きが手に入らなかったという説は、ありかなしかで言えばなしで。あの時点で既刊のほとんどは新品カテゴリから外れている。学生の時分の手持ちがいくら乏しかったとはいえ、ブックオフにでも行けば安く手に入っただろうし、なんなら図書館に行けば置いてあった確率も高い。そこまでするほどの評価はしてなかったと、それは事実だろう。

 

・ただまあ、そんな過去のことは関係なく、そのうち読まなきゃなとなんとなく思ってはいた。過去の自分の審美眼なんてものは、あれほど評価されている作品相手では疑ってしかるべきだろう。2度3度読んで、それでも上っ面でさえ楽しめなかったら、そのときこそホントに「合わなかった」という結論にすべきだろう。残念がりながら。

 

・永遠の未完だという事実は、物語の読み味に影響するだろうか。証明のしようがないけども、まあ「する」と言った方が間違いないんだろうな。たぶん。個人的には「しない」派だけども。今回のような終わり方は、それまでの物語に影響しないから。

 

・これが例えば、ジャンプによくある人気低迷による打ち切りだったなら、物語の途中で打ち切りが作者に宣告され、そこまでの流れに関わらず、〇話以内に物語を終わらせるための作為が働くし、そもそも、その漫画を打ちきりだと知って読めば、私自身がその作為を読み取ろうとする。だけど本来、そんな「作為」なんてのは物語の要素ではない。物語を評価するうえでは不要なものだけど、しかしどうしても入り込んでしまう。入れ込んでしまう。物語の中に、その作為を。

 

・あるいは、いつぞやの演劇漫画のような打ち切り。読者は物語の節々にその作者の悪臭を感じ取ってしまう(実際にするかしないかではない。情報を知る読者が感じ取ってしまうのだ)。

 

・だが、今回のような、誰にとっても突然で、しかし完結させない限り必然でもある終わり方は、そこまでの物語になんの作為も、そして匂いも発生させない。あるのはただ悲しみだけだ。この悲しみは、物語になんの意味も与えない。