せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210506日記 すべきときには

・木曜日終了。なにやらTwitter上の画像表示(?)の方法(?)が変わったそうで、なんだかんだ絵描きが多いTLはその話題で賑わっていたけども、よくわからないが変わったのはアプリ版だけなのだろうか? ブラウザでTwitterを見ている私にはなんのこっちゃわからなかった。

 

Twitter社がなにか仕様変更なり改定なりをすると、Twitter上ではその変更に対する反応が生まれる。当たり前の話ですね。『場』にいる人間にとって、その『場』に関するあれやこれやは共通の話題として最上位に位置する。知人との話題に使うもよし、バズらせるもよし、一席ぶつにもよしである。大体にしてTwitterは交流・発信の場所なのだ、もはやそれに反応しないのは「あえて」の誹りを免れない。

 

・話題になるのは当然、それはそうとして。画像表示が変わった今回に関してもそうだし、これまでに私が見た変更とそれに対するハレーションでもそうなのだが、やたらと辛口が多いね。観測域では、という注釈は常につくけども。私が目にした意見のすべてを鵜呑みにするのであれば、Twitter社が行った仕様変更はすべて改悪で、ユーザーの需要も意見も完全無視、褒められるようなことはなにもしないという、とんでもないド無能であるらしい。……流石に一息でここまで言ってる人はいないが、褒められてるとこは見たことないし、反対に罵りや呆れ、嘆息は山ほど見てる。もちろん皮肉ではあるけど、私がTwitterの超ライトユーザーであるがゆえ、上に書いたとおりの運営であるという可能性はもちろん否定しない。

 

・とはいいながら、変更を喜んでる人はいる。それは見た。おいおいさっきと書いてること違うじゃないか……と言われるかもしれないが、違わないのだ。喜び、歓迎している人はいても、褒めている人はいないのだ。両者の何が違うって主語が違う。運営はバカだ、と、この仕様変更は改悪だ、の違いくらいはバカでもわかるだろう。

 

・私としては、堕とし貶すのはもちろん自由だからいいとして、評価すべきは評価しろよと。声を挙げるにしても、貶すときに声を挙げたのなら、褒めれるときにも同様にしろよと。そういう気持ちになる。逆もしかりだ。当然、徹底なんかできっこないけども、少なくともネタになるくらい『それ』に対する悪口が常態化していて、しかしそれでもその悪罵に正当性があると思うなら、それはやっぱり褒めるべきときには褒めとかないと。