せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210307日記 ということで

・日曜日終了。ここのところ多少行動的だったので、一転してダラダラとした休日だった。とはいえ引っ越し直前の年度末、そんなダラダラしていい時期ではないのだけどもね。

 

・「という」や「こと」は削ったほうが、文章として良いものとなる……みたいな言説が一定存在していて、つい先日も話題になっていた。例によって、Twitter上の一部ではあるが。話題の発端となったツイート主は編集者という立場で、だからそのツイートの趣旨としては「削っておいてくれた方が”編集者として”校正の手間が省ける」という、正確には冒頭の言説ともまた違う意見だったのだけど、まあそこはどうでもいい。「という・こと」論争は昔からあって、今回話題になったのはその文脈に乗っかってしまったからだ。

 

・そう、話題になるのは論争があるからで、論争があるのは対立する意見があるからでもある。なにがあってもきのこたけのこ戦争が終わらないのと同じように、「という・こと」は削ったほうがいいとする意見と、あったほうがいいとする意見が大昔から存在する。

 

・論争が終わっていないからと言って、じゃあそれが答えのない問題かと問われれば、万事がそうとは限らない。少なくとも「という・こと」論争に限って言えば、私にとってある一定の回答は示されていて、それは「簡潔に伝えるだけが文章ではなく、「という・こと」を削ったほうがいい場面があれば、あえて使ったほうがいい場面もある」だ。私自身、うまく「という・こと」を使えるわけでも、また削れるわけでもないから、こんなことを書いてて少し思うところがないではないけど。

 

・ざっくり言ってしまえば「適材適所」でしかない。おおむねの二項対立はその4文字で終わらされてしまうけど、しかし事実だ。このところただでさえ分厚くなっている家電の説明書に、いくら技巧として上手かろうが「という・こと」がふんだんに盛り込まれた文章は使ってほしくないし、一方で、情緒もなにもない、まるで報告書かと見紛うかのような文章の冒険小説など誰も見たくは……いや、それはそれでハマる人もいるか……? うん、例えが悪いね。

 

・いや、言い訳だけど、難しいのだ。「という・こと」が削られた文章には「わかりやすい」という明確な利点があるけど、反対に「という・こと」をあえて使う文章の利点というと、それは個々人のセンスに依存したものしかない。読んでて気持ちいいかだとかそのあたりだ。だから、「「という・こと」が含まれた文章は問答無用で悪文!」という見識の持ち主相手では、適材適所なんてワードは通じず、ただその人のセンスで持って「という・こと」に赤がつけられる。このあたりがいつまでたっても論争が終わらない理由なのだろう。