せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210419日記 卒業について

・どぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……ですよ。どぅわぁぁぁぁぁ……。今の諸々渦巻く心中で、私が私に対して外に出すことを許せる言葉は今のところこれしかない。どぅわぁぁぁぁぁ……。とりあえず、偶然だけど明日休みにしててよかったよ。そういえばあの時もそうだった気がする。一日ではないけど、たしか午後休を取る予定で、そこにお知らせが来たような。

 

・どうなんだ? こういうときの心境こそ書いておくべきじゃないのか? そのための日記じゃないのか? だけど結局、私が、いつ何どきも賢しらな顔をしたいタイプである私が、自分に許せる文章なんてごく限られてて、そんなものを書いておく意味はあるのだろうか? ……まあ、ごちゃごちゃ書いたけど、とりあえず書いてこう。そうだ、きっと私は、この日のことをしばらくは思い出したいはずだ。だったら書いてないと、未来の私はため息をつく。

・たぶん、何度となくこの日の日記を見に来るであろう私なら、私が今なにに心をかき乱されているかわかるだろうけども、一応書いておこう。『.LIVE』所属Vtuber複数人の、契約期間満了に伴う卒業だ。日記を書いている今からおよそ一時間ほど前に発表され、私は晩飯を食べていた。炒飯の麻婆豆腐茄子がけだ。性懲りもなくバカみたいなものを食っていた。

 

・契約期間満了で、卒業だ。解除ではなく。ここの言い回しは本当に大事なところで、これを気にする時点で、まだ一年と半年近い前のあれこれに心のある部分を支配されている、ということがわかってとても情けないのだけど、しかし、それでも大事なところだ。少なくとも、そう思ってるというところは正直に書きたい。そして、ついでだから嫌な話を先に書いておくが、今回の件とあの件を接続し、再度誰かへの悪意を沸かせるのは、それもとても情けないことだとも思う。……もしも「あれ」が起こらず、箱として業界の頂点で他事務所と切磋琢磨していたら、今回の当人たちの意志もまた違ったかもしれず、卒業だってなかったのではないか……なんて連想もわかるのだけど、それはたらればが過ぎる妄想で、そして妄想を着火剤にして感情に火を点けるような振舞いは、少なくとも私は忌避する。あの日の日記にも書いたが、あの件はとっくに終わった話だ。

 

・満了で、卒業。卒業する彼女たちの意志はそこにあったと、つまりはそういうことなんだ。そういうことなら、そうなんだろう。私には結局こんなことしか書けないけど、今出せる言葉はこれくらいだ。このあとの彼女らがどうなるのか、例えば新しい誰かとしてどこかに行くのか、もしくは彼女のままで行くのか、あるいはどこにも行かず、元からいた場所に戻っていくのか、卒業する5人のそれぞれに対していろんな想像は浮かぶけれど、想像で、妄想だ。素直に続報を待つということしか、私にはできない。それはずっとそうだ。

 

・八重沢なとりは、頑張っているなと思っていた。彼女の長時間の配信スタイルは私には合っていなかったから、正直に言えば通常配信の視聴はしていなかったけども、一定の目標を抱いての活動は素直に応援できたし、だからチャンネル登録もしている。

 

・北上双葉は、今回の5人のなかでは一番視聴していた。メン限配信もそれなりに行っていたから、純粋にファンのつもりで加入している。これはあまり個人的に行儀が良くない表明だけど、今後の活動というものがあるのなら、形態次第では引き続き追いかけるようにも思う。その程度にはキャラも声も好きな娘だった。

 

・金剛いろはには、こういう日も来るだろうなと考えていた。それは後ろに書くあと二人も同じだけど、途中から明確に活動頻度が落ちているうちの一人で、この日はほかの子たちよりも早いんだろうなと。それでもコラボには顔を出していたから、そういう形態で続けてはいくのかな、なんてことを薄ぼんやりと想像していた。

 

・牛巻りこは、アイドル部のなかでは最初のほうに興味を持った娘の一人だ。活動休止の声明から一年以上、いつかまた活動再開する日を夢想していなかったかと問われれば嘘になる。それは、彼女の復活が、ある種の契機になってくれればという、不純な動機も多少含まれていたけど、それでも彼女の魅力的な企画や性格を想ってのことだ。

 

・木曾あずきのことは、正直なところあまりよく知らない。喋っているのを見たのはなにかの切り抜きと現地にいたhPaくらいで、だから言葉も見つからない。申し訳ないけど、これくらいだ。正直にいかせてもらう。

 

・最初12人いたアイドル部から2人抜け、そして今回5人いなくなる。正確にはもうアイドル部という箱自体がなくなる。4月末で抜ける個々人への想いとは別に、「5人抜ける」という事実に対してショックを受けているというのもまた、避けようがない事実だ。人の好き嫌いが過ぎる自分は、とても箱推しなんて呼べるものにはなれないというのは、とっくの昔に自覚していたことだけど、それでも未だに継続して視聴しているVtuberは.LIVEにしかいないのだ。いくら「きっと前向きな卒業なんだ」と言い聞かせたところで、この悲しさと寂しさは消えてくれない。

 

・終わりは必ず来るもので、それはいつも思っているよりずっと早い。折に触れて日記に書いてきたことで、私の人生においては今回のことも結局はこれだ。そしてこの考えはこうも続く。ずっと早いからこそ、後悔の少ない終わりには価値があり、願わくば全ての終わりがそうであってほしい、と。どうだろう、今の私は、後悔をしているだろうか。正直な話をすると、それはまだわからない。卒業は4月末を以てで、それまでの間に別れの言葉がちゃんとある。それが全員かどうかはわからないけど。決めるのは、それからでも遅くない。

 

・ここまで書くなかで、何度もTwitter掲示板に逃げそうになった。心中を書き綴るのはそれほど難しく苦痛で、いっそ顔も知らない誰かの悲しみや憤りと同調したくなるのだ。だけど、漫画の感想と一緒で、自分の想いを書きたいときは、誰かの感情は邪魔なだけなのだ。

 

・書けるだけは書いた。「書ききった」という自覚があれば、とりあえずは落ち着くかなと思ったけど、そんなことはない。今書けているこれらは、この胸の痛みのなかからようやく言語化に成功したものを、さらにフィルターにかけて残った部分だけで、体感としてはごく一部だ。あとの想いはまだ澱のように胸に沈んでいる。だけどここらが潮時だ。他人との共感も毒だけど、自分のなかでの感情の増幅も同じくらい毒だ。いつか我に返って落ち着きはするけれど、それを書き写してしまうと膨らんだまま固定化しかねない。だから今日はここまでで、とりあえず今日を過ごして明日を待ち、明日になったらまた次の日を待つだけだ。