せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210227日記 そんなにいない

・身を入れて日記を書く時と書かないときがあり、書かないときはおおむね身を入れてないというよりは身が入らないのだけど、実は今まで書いた日記の7割強はそうした身の入っていないものである。なにせ日記はもはや日常の一部なのだ、一日の活動エネルギーのうちどれくらいを日記に注ぐかはほとんど固定されていて、もうその時点で惰性である。

 

・ごくまれに、「これについては書いときたい」あるいは「かなり書けるな」なんてモードに入り、そのあと4~5日から一週間ほどそのやる気が持続する。それが切れたあとはまた惰性で書くターンに入り、実を言うと今日の日記がまさにそれの走り出しである。今日の昼間をとことんダラダラ過ごしたこともあり、あまり頭が回っていない。ちなみに、昨日まで続いていたやる気モードの起点は、一週間ほど前のどこでもドア云々の話だ。

 

・昼間は火ノ丸相撲を読み返していた。やっぱ名作ですね。連載時は面白さと裏腹の人気の無さにいらぬ気を揉んだものだし(おおむね打ち切られはしないだろうかという心配)、完結間際の早足感(ダイジェストで終わる取組等)を感じていたものだけど、改めて最後まで読むとしっかり終わらせている。欲を言うとエピローグは連載で欲しかった気もするが、それは私の欲以上のものではない。単行本には載ってるわけだし。

 

・本気でなにかに打ち込んだことがない、というコンプレックスが、私にはある。別にスポーツ漫画を読んでそのあたりが刺激されることは(まして、そのせいで作品を楽しめなくなることなど)ないのだけど、それはそれとしてその欠落は想起される。だからこれは、持たざる者の強がりと取られるのかもしれないし、別にそれで構わないのだけど。実際問題としてだ、本気でなにかに打ち込めた人など、いったいどれほどいるというのだ。

 

・例えば私の学生時代のクラスメイト。当然部活をしているものが多かったが、じゃああの人たちは本気だったのか? 断言してしまうが、否だ。確かに練習には参加していたのだろうし、もしかしたらそれはキツかったのかもしれない。ただ、学生の彼ら彼女らは、ただ流されて、ただこなしていただけだ。それでも技術は上がるし体力はつくのだろうが、身に付いたものはひたむきさを担保しない。穴掘って埋めることを繰り返すだけでも腕力は身に付く。

 

・美化しすぎなのだ。部活だサークルだを。それらをしていたからといって、そいつが本気で取り組んだことのある人間だということを、なにひとつ証明しない。誰しも本気を持っているが、それを出したことがあるのは一握りだ。