せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210224日記 こだわり

・水曜日終了。来週にはもう3月って、つくづくなんかの冗談かのようだ。早すぎないですかマジで。このところは軽く運動始めたりウクレレ再開したりと「新しいこと」もそこそこやってるつもりなのだけど、どうやらこの程度では時の速さはこれっぽっちも収まってくれないらしい。いやんなっちゃうねまったく。

 

・僕ヤバの感想記事を書き始めてから早くも一年半を過ぎたのだけど、記事を書くにあたって些細なこだわりがいくつかある。これはそのうちの一つだが、作中人物の(ほぼ全部山田か市川なのだけど)の明言されていない心情について考察し、こう思ってそうだな……というのを書く時、一人称はかならず「自分」にしている。山田のも市川のも変わらず「自分」だ。

市川の認識としてはまず「親に合うのを拒否したのは自分」で、だから「山田はまったくかまわなかったけど、自分が拒否したから山田が嘘をつくことになった」なんだな。 

 ・先日の感想記事でもこの通り。いつからのこだわりだったかは忘れたが、気づいた時にはこうしていた。もちろん、市川の内心における一人称は僕で、山田はモノローグがないから厳密にはわからないが、おそらくは私だ。そんなことはわかってる。ではなぜそうしないかというと、私の考察と実際のセリフは分けたいし、分けるべきだと思ってるからだ。そして、自分自身が後から思い返すとき「これはどっちだったかな……」と迷いたくないからだ。文字にして書くという作業は、わりと自分の頭に書いたものの記憶を残す。

 

・「原作が解釈違い」なる愉快なワードをTLで見かけたが、あれは特殊な例を除いて「自分の解釈と現時点での原作の設定の間には何一つ乖離がない」という傲慢さの表れだと思う。そういうのを無くすためにも、読み手の解釈と原作の客観的な事実は分け切らねばならない。

 

・よくわからないこだわりで言えば。これは私にないものだけど、昨日から数回ほど、キャラクターの二次性徴に拒否感やショックを持っているオタクを見かけて、なにもわからなかった。最初はギャグかなにかかと思ったもの。よくあるじゃん、自分を必要以上にキモく見せるやつ。だがその人(たち)のツイートを追っかけるとどうやらマジみたいで、そこそこのカルチャーショックを受けた。別に嫌悪を抱くようなものではなにもないけど、また一つ理解できない価値観を知った。なにがダメなんだろう。