せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210205日記 牛丼

・金曜日終了。疲れてるようで疲れてない、ちょっと疲れてるこの感じ。こういう体調の時はジャンクでかつ贅沢感もある旨いものが食べたくて、しかし外食する気にはなれず、必然選択肢は限られてくる。寿司やウナギ、焼き肉は店で食べたいでしょう。そんなときに頼れるのは? そう、すき焼きですね。甘辛い牛肉は最高だ。しかーし、しかし。私の家に「机」と呼ばれるものは現状たった一つしかなく、それは年明け早々、デスクトップPCとモニタの到着により食卓からモニター台にジョブチェンジした。もちろん机はこれしかないので、現在も食卓として使用しているものの、残念なことに卓上コンロを置くスペースはない。というか嫌だ。モニタに悪そう。と、いうことで、今日の晩飯はすき焼き風牛丼です。玉ねぎはなし。嫌いなので。晩飯の発表だけで300文字稼ぐようになったら終いだろ。

 

・キッチンで食べるという選択肢も世にはあるらしいが、私はあれ、なんか忌避感がある。なんでだろうね、汚いとか思ってるのだろうか。おかしな話だけど。いつも「そこ」で飯作ってるじゃないですか。汚れの掃除とかを考えればキッチンで食べたほうがよほど効率的だし、この忌避感はどちらかといえば不合理なものだとは思う。

 

・袋のラーメンを鍋から直接食べる、みたいなのも私は嫌で、そりゃ洗い物は増えるけど器には盛りたいし、それを「ちゃんと」と呼びたい。たぶんこの忌避感は上述のものと同種のそれだ。文化的じゃないところなのかな。めっちゃくちゃ言い方が悪いけど、やっぱ盛り付けって過程を挟んだほうが文化的で現代的というか、むしろそれをしないのは原始的というか、私はそんな感覚を持っているんだと思う。

 

・うわ、さっきまで考えてたことが吹っ飛んだ。これはもう、気のせいじゃなく疲れてる証拠だろう。

 

・なにかを嫌いな人がと嫌われるものがあって、それをその人が嫌う理由もあって、だけどその理由はどう考えても無理筋なんだけど、だからといって嫌いという感情が消えるわけではなくて、これは難しいなと思うなど。私にとってそれはむしろ好きなものだったら、その嫌う理由を論破したくなるけど、しかしその行動に意味はない。

 

・難しいと思う以上に、腹が立つとすら思うときもある。論の誤りや事実誤認を指摘されておいて「だけど嫌いなことには、感情的に忌避してしまうことには変わらない」なんてのは、開き直りと変わらないんじゃないか。