せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

201203日記 ひとりの悲しさ、ため息の我慢

・帰った時の部屋の寒さが一人暮らしの物悲しさの定番みたいになってて、暖房をつけながら私も危うく同調しそうになったけど、実家にいる時もそんな変わんなかったわ。帰ってくる時間に合わせて私の部屋の空調を付けるなんて執事みてぇな真似を親がするはずもなく、悲しいかな、そもそも空調自体が部屋にはなかったよ。

 

・どっちかって言うとあっちだな。寝室の扉を閉めた瞬間かな→一人暮らしの物悲しさを感じるのは。動作としては家族といた時と変わらないけど、あの時は扉の向こう側、自室以外の家のどこかに家族が居て、扉を閉めると言う行為は家族と自分の間に壁を作るという意味合いがあった。絶対ではないが、確かな『プライベート』を作るための動作。しかし、一人暮らしではその必要がない。寝室の扉を閉めるのはただ単に空調の効きを良くするためだ。だけど、実家にいた時のことを体と頭は覚えていて、寝室の扉を閉めるたび、その向こう側の誰かを探してしまう。当然誰もいないのに。そしてひとりを改めて実感する。今さら、あるいはまだ、そこに孤独を感じないけれど。

 

・そんな感じで木曜日終了。土曜の早朝から多少どころじゃなくめんどくさい予定が入ってしまったので、あと1日で休みだ!なんて喜びには浸れない。そんで確か来週末にはもっとめんどくさい用事があるんだよな……。ため息が出そうだ。出たわ。

 

・ため息をついたときに言われる「幸せが逃げるよ」ほど「やかましいわ」と思う言葉は無いですね。悪気はないのだろうけど、こっちだってつかなくていいならそっちの方がマシだってことぐらいわかってんだよ。けどため息つきたくなるくらいの出来事に直面して、「ああいけない、幸せが逃げるからため息はよしとこう」なんて考えれねえし考えたくもねえよ。だいたい我慢した時はなんも言われねえのに我慢できなかった時だけ外野から嗜めるように「幸せが逃げるよ」なんて、んなこと言われてもむかつくだけだってわかんねぇかな。今ついた一つのため息の影には我慢して出さなかったいくつものため息が潜んでるかもしれねぇだろうが。我慢してたのに幸せが逃げて不幸な目に遭ったらため息の一つもつきたくなるわ!

 

・いや、別に毎回毎回ここまで思ってるわけではないんですけどね。なんか妙に言葉が溢れてしまった。溜め込んでたのだろうか。ちなみに私はほとんどため息を我慢しません。なんだこいつ。