せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

201105日記 感想、自虐

・木曜日終了。ホントにあれだな、今週は実質3日しかないくらいの気分だわ。楽勝楽勝。

 

・これから感想がどうなるこうなる……みたいなことが書かれた文章を見た。キン肉周りから派生した感想問題とは別件。その文章で主張したい内容とは(というかそのまま本文の結論として書かれてた文句だけど)「感想を自分で考える時代は終わった」だ、そうだ。今の若い世代の人間は誰かの感想を読んで、そこに書いてある内容通りにその作品が面白いかを、感動するかを決めるらしい。もちろんみんながみんなそうではないが、自分の感想を出力できる人間は少数派であり、ひいてはこの先『特別』とまでなると。

 

・結論は置いといて、そこに至るお話に対しては、まあ、そういうこともあるよね、だ。どこかで読んだ感想に感情が引きずられることは普通にあるし(だから私も『自分の感想』をまず出力したいときは一切の他人の感想を断つ、とかしてるわけで)、一見合わないと感じた作品も誰かから楽しみ方を聞き、その通りに読んでなるほど面白いと感じた経験だってある。その辺りの事実認識には基本的には異論がない。ただ、そういうことが起きるからといって誰もがまったく感想を考えることがなくなる、とはならないだろう。延長線上の極点には位置するのだろうが、要するに極論で、つまりは思考の上にしか存在しない話だ。

 

・少数派だなんだは「なんかエビデンスあるんすか?」と聞きたくなるけどグッと堪えて、じゃあよしんば今少数派だったとして、その傾向が強まる(つまり『特別』とまでなる)と思うのはなんか理由ありますか?って感じだ。今までもたぶんずーっと少数派だったし、コレからも少数派のままなんじゃないですか? 

 

・作品を読んだとき、力(リキ)入れて「自分はこれこれこう言う理由でこの作品を面白いと感じている!」とか出力する人はそりゃ少数派なんでしょうよ。別にする必要もないし。出力しきれない感想を、誰かの言葉を借りてようやく出し切ることもあるだろう。それをやる内に楽に流れて、誰かの感想に依存している個人が0とは言わない。だけど、やってやれないわけではない。だって何も感じないわけではないから。感情を真っ向から否定する感想に、素直に肯けるわけがないから。ワカモノは感情が希薄化している……みたいな青い話をしてるのであれば、変な自虐に巻き込まんで頂きたい、だ。