せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200810日記 しつこい喉の痛み

・まだ喉は痛い。多少マシになった気もするし、ただ慣れただけな気もするし、だ。痛みに慣れるってのは言葉にすると嫌な諦観が感じられて少し怖いけど、だけどどうしようもなく必要なことではある。

 

・アクタージュは結局、連載終了が決定してしまった。ジャンプの中堅として定着し、新編もまさにこれからってこのタイミングでだ。あの作品を楽しんでいた誰にとっても不本意な終了で、個人的にも残念と言うほかない。罪を犯した原作者が逮捕されるのは当然だし、それを受けての対応としてはむしろこうそうすべきだったとも思うけど、だからといって作品の終わりを残念がってはいけないなんてお話は、少なくとも私はないと思う。

 

・残念な事はまだいくらでもある。今後アクタージュを語る時、どうしてもこの終わり方についても思いを馳せてしまうことだ。原作者の犯罪行為がどうしてもチラついてしまい、純粋に作品を楽しめない。自分がそれを頑張って排除しても、それをしてない誰かとは語らう事はできない。作品の感想行為が著しく制限される。

 

・作画担当の今後についても考えてしまうが、これは考えてもしょうがないこと、むしろ深く考えるべきではないことかなとすら思う。当人にとって何が幸せかなどわかるわけがないからだ。それを抜きにして憂いを見せるのは、憎っくき原作者の罪を増やしたいだけにも取れる。せいぜい私が残念がれるのは、今後あの絵でもって描かれた漫画作品を楽しめない可能性についてくらいじゃないだろうか。

 

・何にだって終わりはあるし、それは思ってるよりも早く来る。何度も日記で書いてることで、今回の件はそのものドンピシャリだ。少し事件的すぎる幕切れだったけども、早く来るとはそういうものだと思ってる。似たような事は去年もあって、あの時は結局心配してるような終わりはなかったけども、それでもヒヤヒヤはしていた。

 

・昨日の続き。「被害者が出てる事件に対して、真っ先に出る発言が『被害者に対する心配』じゃなくて『作品の今後』ってのはどうなのよ」に対して思うこと。昨日はこの発言のうち『内心についての非難』について書いて、今日は『振る舞いについての批判』について書く。

 

・要するにだ。これが内心については問わない、振る舞いに対してのみの批判だとすると、つまりはこういうことになる。「心になくても、まず被害者に対する心配を口に出すのが良識ある大人じゃないのか」だ。

 

・これもまた、全くもってその通りな意見である。昨日のよりも多少は。なぜ真っ先に出る言葉は被害者の心配でなければならないのか? 同時に、なぜそれ以外のことは後回しにしなければいけないのか? 理由は(私が思いつく限りでは)ひとつ、被害者のためだ。

 

・とかく、被害者感情というのは大事に、丁寧にケアされなければならない。まずもって被害者はその身に起きた不幸により心身ともにダメージを負っており、それを無視するような発言は慎まれるべきである。「別に堪えてない可能性もあるじゃんね」なんて考えは今すぐ改めなければならない。そんなことを前提に発言していたら、そうでなかった場合に傷つけてしまうだけだ。そして、被害者を無視して加害者の作品を気にする行為は、明確に被害者感情を傷つけるものであるからして、やはり慎まれるべきだろう。そして、ネット上の発言だ。どこに届くか、誰に届くかなんてわかりっこない。被害者が見る可能性がある以上、発言にはやはり気をつけるべきだろう。批判はつまりそんなロジックだ。

 

・個人的には、厳しいなと思うが。それを言えるほど発言に気を付けてる人間なんて、ネット上にはたしているのだろうか。甚だ疑問だ。言われた側も言った側もどうせ似たようなことをその後もしていくのだ。正しいだけの無為な批判で、それを言う必要が感じられない。