せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200809日記 そういういい人

・まーだ喉が痛いままだ。さほど軽くなりもせず。飯食うのに難儀なのが腹立つ。何が嫌って、普通病気っていくら辛くても基本は食わないと、栄養を取らないと治らないわけじゃないですか。『食べる』という行為そのものが辛くても、栄養の摂取にはその辛さによるマイナスを大いに上回るプラスがあるから、しんどくても食べた方がいいと言われてると。ただ、今の私の症状って基本は喉が痛い『だけ』なわけで、こうなると嚥下という行為はただ喉を痛めつけてる『だけ』にしか思えない。もちろん食わなきゃ倒れちゃうので無理を押して食事は取ってるのだけども、ことこの喉の痛みを緩和するという方向には、さほど食事が効果を発揮してるとは思いにくくて。

 

・連休開けたら病院行こうかな。そこまで引きずってたら行くべきだろう、たぶん。一応市販薬使っているのだ、緩和くらいはしてくれないとむしろ怖い。口内が荒れてるからか痰は出るし、飲み込むたびに痛みが走るし、好きな食いもんもちゃんと喰ねえし、こんなもんが一週間も二週間も続くなんて考えたくもない。

 

・僕ヤバの感想にも影響出そうだな……。わりと真面目に喉の痛みにはそれくらい参っている。大きい病気の経験がない(腎臓があれで一年くらい病院に通った事はあるが、別にその時も何か自覚症状が出てたわけじゃないし。ただ数値がおかしかっただけ)からだろう、健常じゃない状態に対するストレスに慣れてない。慣れない方がいいんだけどね、たぶん。

 

・あんまり実在の事件から思考実験始めるの好きじゃないんだけども、アクタージュ原作者のあれ。チラッとこういう意見を見た。「被害者が出てる事件に対して、真っ先に出る発言が『被害者に対する心配』じゃなくて『作品の今後』ってのはどうなのよ」。

 

・とても、あー、良識のある意見だ。皮肉でもなんでもなく。この『真っ先に〜どうなのよ』には二つほど意見が入ってると思ってて、まず『真っ先に作品を心配する思考回路ってどうよ』、次に『心になくても、まず最初に被害者の心配を口に出すのが良識ある大人じゃないか』。前者は内心に対しての意見だが、そもそも倫理観を詰ってるので内心の自由ではガードできない。後者は振る舞いに対してだ。

 

・前者について。なるほど確かに、事件と聞いてまず『被害者は大丈夫なの?!』となる人は、確かにとてもいい人だ。倫理的に正しい。ただ、『そういういい人』を目指すべきか、また、『そういういい人』になれるかとなると、多少疑問符だが。今回の事件はたまたま加害者の肩書がセンセーショナルなものだったからこそ、大きく広まることになり、良識的な人に心配してもらうことができた。一方、同程度かそれ以下の、しかし有名にはならなかった事件も山ほどあって、彼ら彼女らは被害にあったにもかかわらず、社会の大多数から無視されていることになる。心配もしてもらえない。同じ被害者なのに。

 

・何が悪い? もちろん、社会構造が悪い。結果的に差別つする羽目になった『そういういい人』は悪くないよ? なにせ現状は全ての事件が同比重で社会に届けられるようになってないので、目に入らない事件が、心配してもらえない人間が発生するのはしょうがない。ただ、今の社会構造がそうなっているのならば、それに気づかないわけがないのだから、『そういういい人』たちは是正のため、最低でも声を上げるべきだろう。少なくとも、『そういういい人』ではない人に嫌味をいうのならば。

 

・わかるはずだ。「この事件はたまたま有名になっただけで、今の社会はこの程度の事件だとそこまで話題にならない」ことくらい。その現状を変えようとする『いい人』は、残念ながら私の観測域にはいなかった。被害者よりも作品を心配する人と、そういう人をなじる人しか。あと無関係の作品を持ち出して面白がる人。これは最悪の行為だが。

 

・内心について口出すのなら、それ相応の立派な内心を持ってるはずで、じゃあすべきこと、言うべき事は他にもあるよな?が結局言いたいことです。良識ある大人云々はまた後日の日記で。一昨日の分を取り返すかのような、久々の1500文字オーバー日記でした。