せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200715日記 なんでもない日

・水曜日終了。特筆すべきことがない1日だった……というか、特筆すべきことがある1日の方が希少なんだけどもね。なんでもない日、というのはネガティブなことではない。私はそう思う。

 

・今日、何か成し得たか。明日、何を成し得るか。そのようなことを気にして生きている人にとっては、私にとっての今日のような『なんでもない日』は価値の低いものになるんだろう。ん、『価値の低い』なんて言い方だと揶揄が含まれてて良くないか。であれば、『かくあるべきではない』と言い換えるとして、それは私の在り方も含まれる。

 

・目標意識を持つことは、人間の成長に不可欠だ。人生における成長点の取りこぼしを少なくすることを考えれば、自然、日々をどのように過ごすかは定まってくる。何かを成すこと、何を成したか把握すること。漫然と続けて得られる成長には個々の限界があって、限界を越えるには痛みが伴い、痛みに耐えるには覚悟が、覚悟を支えるには目標が必要だ。(もちろん、痛みや覚悟や目標があるからと言って、そのまま成長につながる訳ではないが。痛い思いをしたからといってそう易々と報われるほど、人体は優しくない)

 

・そうやって人は成長していく。少なくとも私はそう思っている。ただ、そう思っていながら今の生き方を変えるつもりはないし、成長を試みることも少ない。ストレスに弱いので。あんまり気を張ってるとあっという間にメンタルがやられるので。

 

・成長とは違う話だが、お金がない人。借金持ちでもいい。一般に貧しいとされ、自身もそれを良しとしない彼あるいは彼女がその窮地から脱するには、往々にして努力が必要だ。そのとき、取るべき努力の方向性は『切り詰める』ではなく『稼ぐ』であるべきだと思う。『切り詰める』がまったく不要だとかそういう話ではなく、ある程度は必要だとはわかる。ただ、それは短絡的な『痛み』ではあるけども、そうであるからにしてたやすく『ある程度』を超えてしまうのだ。

 

・布団がない。切り詰めなくちゃ。床で寝よう。空腹だ。切り詰めなくちゃ。ゴミのような食事をしよう。退屈だ。切り詰めなくちゃ。娯楽は遠ざけよう。一方で、お金を生むためにだって努力が必要で、そちらにも痛みは伴う。痛みを、傷を治す暇がない。そうやって、そのうちダメになる。

 

・正しい努力を常にできるのであれば、人生をそう変えることが100%正しい。だけど、努力にも選択肢があり、間違えるとただ痛いだけで、だけど人はそれに気づきにくい。「こんなに頑張ったんだから、報われるはずだ」を捨て切れる人間は少なく、私はそうではない。正しい選択肢を選ぶ自信もない。つまるところ、消極的に無意味な痛みを避け、結果として努力から離れて生きている。なんでもない日を、明日も生きることを選ぶ。