せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200629日記 100と101

・油吸わせた茄子は本当に美味しい。最近自炊の時に野菜は茄子くらいしか使ってない気がする。ああちょっと前キノコ使ったか……。それくらいだ。葉物野菜の値段がもうちょっと落ち着いてくれたら購入するにやぶさかでは無いが。それなりに保存の効く葉物野菜ことキャベツ、長い間食べてきたけど実はあんまり好きじゃ無いことに最近気づいた。なので焼きそばにすら使わないようになっている。なんだろうね、買うやつの質の問題かもしれないが、別になくてもよくね?ってなる。味があんまりしないというか。別に嫌いというわけでは無いけども。キャベツの甘みとやらの存在は知ってるが、あれは煮込まないと(私は)あまり感じないし、煮込み料理なら白菜のほうが好きだ。

 

・全然違う話。なんかたまにさ、正義を取り扱った作品で『101人を救うために100人を殺すのこそ正義だ』みたいな話を見るんだけど(それを作品世界として正しいものとして置くかはともかくとして)、「いくら救われる人の方が多いとはいえ、全体のほぼ半分殺しちゃったらもう正義名乗れなくない?」って思っちゃう。個々の事情はともかくとしてよ? 感覚として、全体の7割は救えないと正義は名乗れなくない?って。

 

・正義と正しいの間に微妙なニュアンスの違いを持ってて、要するに基準が決まってるかふわふわしてるかなんだけども、決まってるとそれは『正義』だし、言語化できないふわふわした感情なら『正しい』だ。完全に私の感覚。たぶん名詞(正義)と形容詞(正しい)の違いからそう思ってるだけだ。名前がついてるとはっきりした輪郭を帯びる、みたいな若干霊的な話で、だから名詞である正義ははっきりしたものである、という連想。一つ前のセンテンスをこの微妙なニュアンスの違いで説明すると、『100人殺して101人救うという行動は、誰かにとっての正義であるかもしれないが私にとっては正しくはなく、じゃあどこまで被害を許容するかについては、まだ私は正義を持っていない』みたいな感じ。

 

・犠牲を積んでもその先にそれより大きな救いがあるならば、みたいなことなんだろうけど、ちょっとヒロイックを感じて好きじゃない。昔流行った『世界と彼女、どちらを選びますか?』とか、だから好きじゃなかったもの。どっち選んでも悲劇っていうのはねぇ……。じゃあ「ウルセェ、どっちも救う!」が好きかと言われてもそうじゃないんだけど。そもそも世界なんて大仰なもんを個人が天秤にかけられるという状況が好きじゃないのかも。