せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200528日記 自虐の範囲の取り違え

・日記を書きましょう。いつもの1.1倍くらい日記へのやる気が増しており、理由はよく分からない。晩飯にニンニク使ったからかな? 大した量じゃないし関係なさそうだな。

 

Twitterに書いたことをわざわざこっちにも書くんだけども、ツイヤバ。何やら桜井のりお先生が忙しいとのことでツイヤバはお休みだよ!と一枚絵付きでアナウンスが来ていた。昨日のことだ。一枚絵はとてもいいものだったんだけど、ふと気になったのはそこではなく、無料でやってるツイヤバの更新が空くからって、わざわざアナウンスする必要はないんじゃないかと、そう思った。

 

・素直に考えればだ、本編の更新から1週間程度開き、そろそろツイヤバが来るんじゃないかと思ってた人は多いと思うから、そういう人たちが無駄にヤキモキしないようにという善意だろう。ただ私は同時に善意以外のものも連想した。それは『ツイヤバが来ないと騒ぐ層がファンの中にいると思われているのでは』というもので、だけどこれは程度が低い自虐だなと気づいて、それ以上考えるのを辞めた。

 

・薄っすらとした自虐癖が私にはある。それは自信の無さから表れるもので、せめて自分の悪いとこは把握していますよというポーズだ。まあ無闇に他人との会話の中で自虐して気を遣わせる…なんてことがなければ無害なもんだ(と思ってる)が、たまに自虐の範囲を取り違えることがあり、それが今回だ。本編・ツイヤバの更新のたびに感想記事を書くというムーブをしていることが、私こそが『ツイヤバが来ないと騒ぐ人』だと思われているという自虐を発生させ、だがそれと今回のアナウンスを繋げるのは自意識過剰が過ぎるので、ぼんやりと『ツイヤバが来ないと騒ぐ「層」』まで範囲を広げることで、そこに自分も含まれてるかもという自虐思考をかましたわけだ。

 

・言わずもがな、考えすぎの悪く取りすぎで、しかもそういう層がいてもおかしくないと作品のファン全体をバカにしている。程度が低く、他人を巻き込んだ自虐だ。

 

・それはそれとして、同じものが好きなのにこいつは嫌いだな、みたいなのはよくある。ミュートなりブロックなりの目に入れない努力さえすれば無問題だが、一方で私はまだ経験がないが『作者は嫌いだが作品は好き』みたいな事例もあり、その場合の努力は難しい。目に入れない努力もそうだが、ファンと作品に比べ作者と作品は切り離して考えづら過ぎる。

 

・両者は切り離して考えるのが美徳とされているものの、このコンテンツ飽和時代において、そこまで無理しなくても……という考えもある。無理に分けて考えるのは無用のストレスで、気になるなら他所に行けばいいという至極真っ当な意見だ。私がどっちの立場を取るかは、まだそういう事例に立ち会ったことがないこともあり、決めかねている。ストレスフリーでいたい気持ちも分かるし、作者と作品がセットだと作者自体に変なタレント性が求められるのが息苦しいなとも思う。