せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200527日記 摂取のペース

・水曜日終了。もう直ぐ6月で、そうなるとそろそろ梅雨入りかなぁと憂鬱になる今日この頃。蒸すのはね、1番嫌いなんですよ。カビやら虫やらを誘発するから。家にいる間は常に空調をドライにしているが、全部屋効かせようとしたら電気代がとんでもないことになるので自室だけ。

 

・雨も嫌いだ。好きな人いるの? 利益につながる仕事の人以外でさ。前も日記に書いた気がするけど、濡れるってデバフじゃないですか、基本。で、今の時代になっても防雨グッズは傘とかっぱくらいしかないわけで、雨の日に屋外に出るとどうしたって濡れるのは避けられないでしょう。強制的にデバフ押し付けてくる雨とかいうフィールド環境、どうなってんだ。人体にバフ要素もないでしょう。そりゃ雨が降らなきゃ川も湖もなく飲み水だのに困るんだろうが、それは『水』がありがたいだけで、『雨』という現象そのものがウザい事実は変わらない。

 

・天に唾吐いてもしょうがないですね。けどそれくらい雨、ひいては梅雨が嫌いなんで。

 

・映像作品は見ないという話をもう何度も日記に書いている。理由としては『自分のペースで物語を摂取できないから』『文章や絵に比べて摂取スピードが劣り、時間的にコスパが悪い』というところだが、最近新説が生まれた。『感情を動かされるのが嫌』というものだ。どういうことか。

 

・前提として、創作物(≒物語)にはそれぞれ、摂取するにあたってある程度適しているペースというものがある。小説なんかを考えればそうだが、普通に読む分には問題なく楽しむことができるものの、速読と呼ばれる技術(あれは脳味噌の出来ではなく、きっちり確立された技術/読み方だ)を用いて意図的にペースを上げた場合、その感動はまず薄れる。映像作品なんかは言わずもがな、どころか小説よりもっとそのペースが厳密だ。やればわかるが、1.1倍速程度でも違和感が立って物語に入り込む障害となる。

 

・そもそも、私はあまり『感動』が好きじゃない。厳密には『他人に感動を動かされることが』で、その中でも特に『泣ける、感動する系』が、だ。こう書くとすごいカッコつけてるようで恥ずいけど、実際問題そういう作品は避けまくって生きている。

 

・他人に感動させられるのが嫌って、世の中の創作物は全て私以外の他人が作ったものだから、そんなこと言い出したら何の物語も楽しめないじゃないかと、そう言われる。だからある程度折り合いというか、口ではそう言いつつもそれは建前で、実際は普通に楽しんでるのだとそう思っていた。が。

 

・小説や漫画、これらは自分でペースを決めて読むことができる。創作側の意図したであろうペースよりも遅く、あるいは速くすることができる。私は速い方だが、そうして普通より速いペースで物語を摂取して得た感動は、創作側(他人)によって引き起こされたものではないんだと、そう心の奥底で思ってたのではないのかと、ふと思ったのだ。この感動は他人の手柄じゃないんだぞと。意識してたらそれは戦う前から負けを認めることになるので、あくまで無意識のうちに。

 

・漫画や小説はあくまで癖で、自然に速く読んだんだと言い張れるが、映像作品でそれをするのはあからさまがすぎる。あえて倍速にする理由などないだろう。つまり強制的に他人の作ったペースに則って感動させられるから、それが嫌なんだと。

 

・考えすぎだとは思うが、実際に小説でそういうヤマのシーンに差し掛かった時、ページを捲る手が早くなるような覚えがあるのだ。映画やドラマではそれが出来ないから、もしかして時間あたりのコスパじゃなくそこが問題なのかなと思ったと、そういう話。