せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200513日記 嫌悪感の嗜好

・晩ご飯が終わりました、日記を書きましょう。規則正しい生活を送れてるとは眼を見て言い難い(昨日も寝たの朝の2時半過ぎとかだし)けども、こういう習慣的なものは出来るだけ続けていきたいな。

 

・あと1ヶ月ちょっとで日記を始めて1年になるな。成年になってからは明らかに時間の流れは速くなるけども(そしてそれはこれからも速くなる一方だけど)、こと新しく始めた何かにだけ着目すると、途端に「『まだ』1年か」という気分になる。

 

・日記はね、スキルも何もいらないから続けやすいね。研鑽を必要としないものを長時間続けてどうするんだという気にはなるが、それでも続ければ『続いてる』が得られるのだ。ローコスト。絵だの文だのは漫然と続けてるだけではどこかで留まることになる。ステップアップの為の苦しみが必ず必要になる。それを何かの理由で、例えば不特定多数の誰かからの承認のためだったりで踏ん張れる人だけが、次のステージに行くことができる。それを才能と呼んだり呼ばなかったりするね。

 

・なんかTwitterでまたぞろ変な漫画が流行ってる。パチンコにハマっちゃった人の漫画。胸糞系だと聞いて一瞬で読む気をなくした。どちらかというと流行り物にはいっちょ噛みするタチだが、嫌いなものは嫌いだ。ウシジマくんとかも読めないもの。そう、読めない。

 

・どうしたって苦手なジャンルはある。ある友人はグロいのがダメだからと進撃の巨人すら読みたくないと言っていた。生理的嫌悪だろうか、私が胸糞系が嫌なのとたぶん似ている。……グロだのなんだのの嫌われがちなジャンルの中でさ、あるジャンルだけはなぜか『嫌いな奴ほど素質ある』みたいに言われるよね。そうだよNTR、お前のことだよ。そういう人もいるかもだけどさ、全員がそうだと言われると普通に腹が立つ。

 

・『生理的嫌悪感』そのものを嗜好する癖……みたいなのはあって、気味の悪い虫の動画をわざわざ見るみたいな人たち。NTR好きもそうだと勝手に思ってる。そういう人たちにとっては生理的嫌悪感を抱くことがその対象を嗜好する理由になるので、だから『素質がある』ということなんだろう。

 

・私にその『嫌悪感を嗜好する癖』がないかと問われると、ひとまずは無いよと答える。ただ、嫌悪するということは、その対象に情緒を動かされているということで、その感覚は知っている。場合にもよるが、だいたいは血の気の引くようなあの感覚。ちょうどいい痛みがクセになることがあるように、その感覚が癖になる日が永劫来ないかと問われると、なりたくはないねと答えるしかない。