せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200416日記 自己投影実在性

・豚バラのカツ丼はちょっとしんどいな。半額だったからカツを買ってきたけども、油が厳しかった。だいぶ前にカツ丼作ったときは味付けを濃くしすぎてミスったので、今回は控えめに……とかやったのがダメだった。塩味が脂の味に負けてしまったのだ。はんせー。

 

・有名声優の方が亡くなったそうで。藤原某さん。なんとなく名前は聞いたことあったが、それ単体では出演作品とかは連想できない程度の知識。クレしんのお父さん役とかなのね。道理で聞いたことあるはずだ。声はまったく浮かばないが。

 

・喪失感とかは別に湧かない。クレヨンしんちゃんの映画とかも見たことねぇもん。自分で言うのもあれだが何にも思わないのはしょうがない話で、私はアニメに疎いし声優にはもっと疎いのだ。少し前に元プロ野球選手の有名な方が亡くなられらたのと、感覚的には変わらない。唯一変わるとすれば、TLの悲しみの雰囲気があの時より大きいくらい。

 

・作品の流行りを見て、訳知り顔で『今の人たちは〇〇な傾向にあって〜』みたいなことが言われることがある。素直に言って嫌いだ。結局その意見もパターンが『消費者が自己投影した結果流行ってる』くらいしかなくて、その程度の雑なことしか言えないなら喋らなくていいよと思ってしまう。

 

・自己投影、そんなにするかね。あまりにもピンとこない。漫画作品なんかはほとんどの場合『主人公』という存在がいて、そいつはどう頑張ってもなんらかの人格特徴を有してるわけだ。その時点で『私』ではないじゃないか。投影する隙がない。ひとつ分の陽だまりにふたつはちょっと入れない。

 

・なろう作品なんかがよく言われるよな。あれ系、スカッとした展開を望む心があって、そういう作品を読むってのはあるんだろうなとは分かる。作品に無用なストレスを掛けられたくないというのも、私自身そんな気になる時もある。ただそれって嗜好だし、別に自己投影してるわけではなくないか。

 

・ただ、主人公側が成功する展開で読者もスカッとするのは、少なくとも読者は主人公に肩入れしているということではある。主人公の成功はもう悪役の失敗を意味するので、片側だけを喜ぶというのはつまりそういうことでしかあり得ない。私なんかは、読者がしているのは自己の投影というか、その人の思う『正しさ』を主人公にBETしてるんじゃないかと思っている。

 

・ま、他人のスタンスを一方的に決めるなんて何様だって話なんですけどね。私が理解できないだけでそういう楽しみ方の人はいるのかもしれない(というか、いるのだろう)し、それを否定するつもりはない。ただ、私はその楽しみ方はあまり快くは思ってなくて、それなのに同じ作品を好むというだけで十把一絡げでわたしも『そう』だと断されるのが不愉快なだけだ。センテンス冒頭であんなこと書いといてあれだが、自分の不快不愉快を社会的正義や倫理でもって潰そうとするのも、ついでに嫌いだ。