せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200307日記 夢の新聞

・土曜日終了。金曜の夜にちょっと活動をしたので、心なしか「(まだ土曜か)」って感覚だ。これはいいね。月曜に有休をぶち込んで3連休なので、この週末は物理的にも体感的にも長くなるみこみ。どっかの休みを無為に過ごしたらダメなんだがな。

 

・久しぶりにケンタッキー食べたんだけど、やっぱ美味いねあれは。味もさることながら、幼少のころからケンタッキーにはなんとなくの憧れがあって、それが解けていないのだ。今もたまにしか食べないので、余計に美味しく感じる。そういうの結構ないだろうか? 私は前述したケンタッキーと、あとカップ焼きそばのUFOがそうだった。UFOは成人してから受け付けなくなってしまったのだけども。

 

・夢の話。仕事の日、昼休みは基本的に寝ている。とはいえ寝付きが悪いので、しっかりぐっすりとはいかない。目をつぶって横になってるだけで体力は回復するし眠気もマシになるので、それはいいのだが。

 

・で、たまにうとうと未満の状態に入ると、Lv0.5の明晰夢めいたものを見る。夢と言っていいか迷うレベルの曖昧なビジョンだ。それは現実でないことだけわかっている。基本的になにか単一のものが目の前にあり、それを眺める格好。よくあるのが、新聞だ。

 

・見た目はひたすら普通の新聞だ。書かれているのは日本語で、構成も新聞らしく見出しがついてたりする。ひっくり返せばラテ欄だ。一つ違うのが、使われている日本語の文章が、読めるがまったく理解できないという点。

 

・ひらがなで、カタカナで、漢字で構成されている日本語の文だ。一つ一つの文字は読めるし、ひらがなカタカナ漢字の比率なんかも感覚的に『普通の文章然』としている。だが、まったく文章としては支離滅裂なのだ。

 

・そんな新聞を、これは現実じゃないと理解しながら読んでいる。いや、意味はさっぱり分からないが、その分からなさが楽しいのだ。

 

・睡眠中に脳は記憶の整理をしていて、そのビジョンが夢である、みたいな話を聞いたことがある。実は人は寝るたびに夢を見ていて、見ていないというのは単に覚えていないだけだとも。翻ってはあの文字列、感覚的にプログラムコードのように見えることがある。あの文字列でもって記憶が構成されているのだ、なんて考えてみると、なんだか面白い。