せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200116日記 ボタン

・木曜日終了。よーしあとは消化試合だ。そして来週には.liveカラオケ大会。やっぱ過ぎてしまえば早いものだな。それが終われば1週間ちょっとで2月に突入&僕ヤバ更新日。なかなかだなこれは。

 

・小学生時代の、あの1週間の長さが信じられないな。ただただ『長い』という記憶だけがある。暮らせども暮らせども、いっこうに週末が来ない感覚。今とのこのギャップ、ジャネーの法則とやらもあるが、それに加えて、今は仕事だったりスマホだったりで『何もやることがなく、ただボーッとして時が過ぎるのを待つ時間』が少ないというのもあると思う。

 

・小学生の時分、なにせ趣味は読書だけだったのだけど、まさか授業中にするわけにはいかない。また、小学生レベルの勉強は真面目に授業を受けなくとも教科書を一人で読めば理解できたため、ただただ退屈でしょうがなかった。もちろん寝ることも許されず、きっちり40分とかそれくらいを明瞭な意識でやることもなく過ごすという苦痛、はっきりと覚えている。

 

・『眠たいが、寝れない時間』が、1番長く感じるような気がする。いやまあ、『苦痛を与えられつづける時間』とかと比べられるとわからないが。ただ、昔は『眠らせない拷問』なるものもあったそうで、その苦痛の0.01%くらいは同じものだろう。

 

・あの時の退屈な記憶が、『5億年ボタン』に対する恐怖感に繋がっているような気がする。『5億年ボタン』、ボタンを押すと100万円が出てくるが、押した瞬間に何もない空間に飛ばされ、眠ることも死ぬこともできずに5億年を過ごし、終わったら記憶を消されボタンを押した直後に戻るあれ。

 

・言うに及ばず、絶対に押さない派。寝れずに(寝れてもだが!)5億年もの時を過ごす苦痛、それに伴う後悔の大きさなんて、考えるだけで背筋が凍る。「どうせ忘れる〜」なんて関係がない。押す直前の私の先には、押して後悔する自分が確かにいて、そいつは押した私を憎悪するのが目に見えている。

 

・過去の自分との連続性は、時点が遠ざかるごとに薄まっていく。今の私から考えれば、小学生の私(20年も経っていない!)すら全く別人のように感じるのに、それが何十年何百年とくれば、その程はさらに大きくなる。何百歳の私が、ボタンを押した別人の私をどれだけ憎悪することになるだろう。ボタンを押すという行為は、憎悪と後悔の塊になるということと、その憎悪の矢印に自分を置くということだ。申し訳ないが、とても押せない。