せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

191214日記 理解し切れない多様性

・木曜日終了。なんだかんだ、年末が近付くと気が抜けてきて仕事にも気が入らない。よくないな。

 

・来週いっぱいで仕事納めだ。年内はひとまず特急案件もないので、平和に迎えられるとは思っている。突発的なあれこれが出て来てしまうと、暮れも正月も無くなってしまうけど、今のところは大丈夫だろう。たぶん。厚い期待に薄い根拠が被さっての希望的観測だ。

 

・書くことがあんまりないな。頭の結構な割合を支配している事項はあるけど、日記に書けるほど整理し切れていないし、日記にすら書くのを躊躇うような内容だ。自分のスタンスがはっきりしていない。

 

・ということで、ネタ帳から引っ張ってこよう。

 

・この世の中には、本当に多種多様な人がいるというのを、未だにしっかりと理解し切れていない自分がいる。どういうことか。

 

・まず、自分は今まで、おおよそレベルが近しい人間と付き合ってきた。そのレベルとは、まあ総合的な話で、例えば理解力だったり言語能力だったり倫理観だったり。もっと言えば、価値観もある程度は共有できる人たちだ。

 

・もちろん、その付き合いの中でも「(こんなやつがいるんだな)」「(そんな捉え方もあるんだな)」という『気付き』はいくつもあって、それを通して『世の中にはいろんな人がいるんだな』という価値観を育んできた、つもりだった。そう、つもり。

 

・結局、その価値観はある程度レベルやタイプの近い人間の中で育まれたもので、だから言ってしまえば見識が狭かった。『いくらいろんな人がいるとは言え、なんだかんだこのラインは超えるだろう?』みたいな考えも、同時にあったのだ。そんなライン、いくらでも下回る人間や、逆に信じられないほど高いレベルの人間は、ちゃんといるのに。

 

・『ケーキの切れない非行少年たち(宮口幸治 新潮文庫)』という新書がある。観測域でも話題になっていたので、結構知っている人は多いのだろう。タイトルの通り、この世には『ケーキを等分に切って』という問題に近似解を出すことすら出来ない人間がいるのだ。それはタイトルの通り『非行少年たち』だが、自分はそんな人間が存在するとも思わなかった。『人間としての最低限の能力』なんていうものがあると信じていたのだ。もちろん、その最低限の能力はケーキをある程度均等に分けることができる。

 

・今挙げたのは能力的な話だが、もちろん価値観の話にも拡大できる。とても考えられないような非道徳なことを平気でする人間、その正逆もまたそうだし、あるいは振る舞いに誠実さがカケラも感じられず、そのくせそうとは気づいていない人間。作品世界でストーリーのために人として破綻している性格人物が、実際の世界にも存在するなどと、いくら体験談を聞き、なるほどと理解したつもりでも、未だに頭の芯の部分ではこれっぽっちも理解できていない。これは、ヒトを信じているのか信じていないのか、どちらなんだろうと、最近たまに考える次第だ。