せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

191216日記 幻のカースト

・ああ、ついに休日が終わってしまった。くそぅ……。結局ゲームしかしていないぞ今日も。マジで家から一歩も出ていない。台所洗剤ないんだよな。買わなきゃなと思いながらも、家から出たくなさがヤバい。ついでにゴミ袋もないんだよな。これはよくない。文化的な生活が自堕落によって削られていく。

 

・明日僕ヤバの更新だ‼︎ 続々と予告コマが投稿されてる。雨空の下で距離が近いな君たち。

 

・昨日か一昨日かに投下された予告、やたらめったら市川がイケメンだった。個人的な見解としては、まず山田フィルターによるものでしょう。市川の容姿を堕としているとかではなく、恋する人は色眼鏡をかけているのだ。五等分の花嫁でもあったね? 四葉の回想でやたらカッコいいフータロー。ああいう感じだ。

 

・ところで、最近は僕ヤバも予告が来ただけで掲示板に感想スレが立ったりするようになって、たまに見ているんだけど、ちょっと気になる意見が散見された。

 

・『結局市川もイケメンかよ』みたいな、否定的なやつ。あの予告に対する個人的な見解は上記の通りなんだけど、それとは別の、市川も実は顔が良かったという解釈。別にその解釈が間違ってるだの悪いだのはないんだけど、イマイチ共感しかねるのが、市川も顔が良い側の人間だったとして、それが悪感情に結びつくということだ。

 

・理屈はわからないでもない。僕ヤバは市川という隠キャと山田という陽キャの格差ラブコメなのに、市川がイケメンという『陽』の属性を持っているのはどうなんだ、という話。またあるいは、隠キャである自分が、同じく隠キャである市川に自己投影していたのに、その市川がイケメンだったらあまりにも自分とかけ離れすぎて、自己投影できないじゃないかと、そういう感情。どちらも全く共感できないが、ありそうだという思考はできる。

 

・前者に関して、個人的に作中における2人の格差(少なくともクラスカーストの部分)は、漫画のテーマというより舞台装置だと捉えているので、事ここに至ってからそれが無くなったとしても別にどうも思わない。だいたい、あのクラス内には『個々人のクラス内での人気』はあれど、『それに起因する上下関係』は見当たらず、クラス『カースト』とまで呼べるものはないと思っている。ある意味それは、市川の卑屈な頭の中にのみ存在していて、どこかでそれも(恐らく山田によって)取り払われるという展開があってもおかしくないな、程度だ。

 

・後者については、『市川に自己投影する楽しみ方』という想像は自分でもつくが、そもそもホントにそれを実践している人などいるのだろうか?という思いだ。そりゃあ世の中にはいろんな人がいて、だんだんと有名になってきたこの作品、どんな読み手がついてもおかしくはないが、そういう人って一巻の時点で振り落とされるんじゃないのか?

 

・なんというか、『テンプレートな厄介オタク』が吐きそうな文句っぽすぎて、実在を疑ってしまう。これは、自分もオタクという自意識が、そういうテンプレにはめられて評価されるのを嫌うが故、実際のそういうテンプレオタクごと嫌悪してるのではと思う。いずれにせよ、『結局市川もイケメンかよ』に賛同は出来ないんだけど。