せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

191212日記 恐怖のノルマ

・気付いたら12月もとうに10日が過ぎ、着々と年明けが近づいている。この日記では繰り返し書いているけど、年が明けたところで別段私生活に何かが起こるわけではないので、どうでもいいと言えばいいのだけども。

 

・学生の時分は、この時期はどことなくそわそわしていたと思う。それはクリスマスや正月の『非日常感、イベント感』を気にしてのことだったり、もうちょっと即物的に『長期休暇、お年玉』を期待してだったりする。暮れに向けて長くなる番組表の一マスも懐かしいな。今はめっきりテレビを見なくなってしまい、そういう景色が懐かしい。

 

・年賀状、出さなくなったな。もともと実家にいる間、それも中学時代くらいまでしか出していなかったけども、それでも誰かしら送ってくれる人はいた。社会人になってからは企業からしか来なくなったが。全ての職場でそうかは知らないが、今の職場はわざわざ仕事繋がりの相手に年賀状など送らない。送り合ってるのは、まだ年賀状文化が今よりあった時代を社会人として生きた人で、かつ私的にも交流がある間柄じゃないだろうか。自分が年配になったとして、急に年賀状を送るようになるビジョンが浮かばない。

 

・ああけど、流石にあけおめの連絡はするな。学生時代はメールで、今はLINE。グループトークに『あけおめ』の四文字を放り込むだけの簡単なお仕事だ。

 

・風情がないが、そもそも年が明けることに風情を求めていないというのがある。こんな若者が増えてる昨今でも、郵便局では厳しい年賀状のノルマを課すのだろうか。あれはまあ、酷い話だ。

 

・『ガイアの夜明け』が話題になってたな。放送内容から読み取れるのは『ブラック』でしかないというのに、どうやら放送を許可した経営陣はそのことに気づいていないようで、真面目に『素晴らしい働き方』という反響が返って来ると考えていたのではないかと予想され、そのあまりの黒さに慄いた。大戸屋だっけか。行ったことはないけど、手作りがウリの飲食店らしい。

 

・値段に見合わない過剰サービスが普通になってしまっているのが今の社会だと、誰かが言ってた。まあ同意。個人的には、じゃあ金払えば無理させてもいいのかとも思うが。個人間の話ではなく、社会として国として、値段給料に関係なく『体や精神を壊すような仕事を誰かがしている』状況を容認するのか、という話。

 

・容認してるかは知らないが、黙認はされてるんだろうけども。霞ヶ関なんかの、まさに国の中枢機関で自殺や追い詰められての薬物使用はよく聞く話だ。ところで、『容認しない!』となったとき、社会全体の仕事がゆるりとなったとき、サービス関係は楽にはなるんだろけども、社会のレベルは絶対に落ちると思うんだけども、どっちをとるんだろうか。