せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

191118日記 醜悪の極み

・月曜日終了。はぁーだるっ。今週は軽い研修があるので、そこを目先のゴールにして頑張ろう。

 

・嫌なものを見た。不誠実の塊というか、被害者意識の醜さというか、とにかく醜悪で嫌なもの。インターネットの出来事なので、目にした人も多く、また考えもバラバラだけど、少なくとも自分はぞっとするほど不誠実で、吐き気がするほど醜悪だなと思った。

 

・連綿と続いてる問題にまつわることで、少なくない人たちが一つのタームとなると考えていて、自分はそこまでは思っていなかったけど、あれを終着とはとてもしたくない思いがある。

 

・被害者という立場を捏造、乱用することは、かなり醜悪だろう。今回起こったのはそういうことで、ざっくりいうと議論に完敗した人が、それにも関わらず議論の中身を反芻することも放り投げ、議論の環境や論敵を悪し様に、許されないことをした加害者であると『後から』ぶち上げたのだ。ずっとウォッチしていただけに、その言論が意図的な事実無視や誇張、自らの能力のなさを隠した、いっそ嘘や詭弁と評されるのがふさわしいものであると理解している。

 

・誰かがそのぶち上げの前、出来事と出来事の間のわずかな時間に『多様性社会のなかでは常に論争を求められるが、それでは論争弱者は虐げられるだけではないか、それは問題だがどうしたらいいのか考えなくてはならない』的なことを言っていたが、答えが出たじゃん、という気持ち。とりあえず『自分は正義だ!』ということさえ言葉にできれば、その名の下に反する全てを罵り、論議でもって対抗するもの全てを指差し『論争弱者に論争でもって殴りかかった! 暴力的だ!加害者だ!』と叫べばいいのだ。やったね。強い人に頼むなんて屈辱的なことをせずとも、論争から距離をとり、倫理社会で相手を加害者と呼ぶことが出来るわけだ。

 

・そんな嫌なものを見た反動からか、自ら禁忌としていた『僕ヤバ二次創作小説』を書いたりしている。創作(二次一次関係なく)するとき、1番大事だと思っているのは『キャラの解像度』で、細心の注意を払っているのだけど、市川姉のキャラが非常に掴みにくい。むずい。

 

・『京ちゃんかわいがりモード』の描写は豊富だが、平場で喋っているのはあまりない。解像度をあげようにも、出来ることといえば、わずかな描写に対しての推論から極力無理のないキャラを造るに留まる。

 

・内容的には、自分が兼ねてから思っていた市川の『そういやこれやってないよな』に関するもの。今半分くらいなので、完成したら…どうしよう。