せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

190925日記 チャプチャプ

・疲れ……てない‼︎かなりしっかり寝たので、流石に大丈夫。ただ、酒が入ってるので、ちょっとしんどい気持ちはある。

 

・なぜ『だいじょうぶ』と打って最初の予測変換が『大上部』になるのか。そんな日本語ないだろう。そしてなぜそれを一旦は通してしまうのか。全てがわからん。

 

・旅行で旅館とかに泊まると、どうしても朝飯とかで早くに起きることになる。平日の仕事がある日でも8時起きとかなのに、朝飯のためなら7時半とか。平時は朝飯も食べてないんだけど。美味しいし、朝風呂も気持ちいいんだけど、それはそれとしてしんどい気持ちは間違いなくある。どうせ旅館の夜なんて夜更かしするものだし。

 

・温泉について。お風呂に浸かるという行為自体は嫌いじゃないけど、何故か高確率で体調を崩すので、自宅ではやらないんだけども、流石に旅館では温泉に浸かる。温泉に使っているとなんとなく、『疲れが取れる感』はあるけども、待てよ、そこまで自分は疲れていたか?という疑念が付き纏う。思うに、『温泉に入る=疲れが取れる』という方程式が体や脳みそに染み付いおり、それがいつしか『温泉に入る=疲れている』という形に変容しているのではないだろうか。つまり、別に疲れていなくとも、温泉に入った時点で体がありもしない疲れを作り出し、それを温泉が癒しているのでは……。マッチポンプだ。そういうようなことを温泉に浸かりながら友人に話したら、また訳のわからないことを言っていると言われた。

 

・↑のようなことはわりと頻繁に考えているけど、じゃあそれを深く掘り下げて考えるかって、そうはしない。何というか、物事の表面付近で言葉遊びをしている感覚。やっぱり、深く考えるのって体力を使うし、知識もそれなりにないと出来ない。知識をつけるためには、他の人のそういう思想とかを読む必要があるが、それだって理解するのに体力を使う……。考えるのをやめた、ではないけど、そうやっていつしか深く考えることから自然と遠のいている気がする。昨日の日記で書いた、中庸がどうのこうのだって、考えようとすればもっと深く考えられるのだろうし、それによって結論も違うだろう。

 

・ただ、そうやって浅い考えを書いた自分の文は、意外と嫌いではない。この日記もある程度溜まったら読み返しているし、書いている小説もそうだ。それで、自分の浅さ、拙さに嫌になることはない。自己肯定感が高いかと言われると、とりあえずはそんなことはないと答えるが、よく考えるとそうかもなとも思うし、そこで思考も止まる。泳いだり、深みに潜ったりするのは気持ちいいのかもしれないが、浅瀬でチャプチャプするのは楽しいのだ。自分はそっちが好きだ。