せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

190718日記 無題

京アニ放火事件。かなり衝撃的。亡くなられた方のご冥福を祈ります。

 

・日記を打っている今現在で20人の死亡が確認されている。確認できていない、心肺停止状態の方の人数は分からないけども、少し前の段階では合わせて30人前後だったから、最終的な死者数もそれくらいになるのでは。

 

・アニメ、ドラマ等の映像作品が好きじゃないといつかの日記で書いた。実際、ドラマに関しては1クール12話を通して視聴した作品は一つもなく、アニメも3つしかない。その3つが『涼宮ハルヒの憂鬱』、『氷菓』、『中二病でも恋がしたい!』。言うに及ばず、京アニ作品だ。

 

・最近のアニメで視聴したものはないとはいえ、むしろだからこそ、自分の中では『アニメ=京アニ』のような価値観が確かにある。これが、自分がオタクであるという自覚、オタクはアニメを好むという価値観の2つと合わさっているから、この悲惨な出来事を重く受け止めているのかもしれない。

 

・実際、上記の理由以外で京アニという会社に思い入れはない。監督の名前は一人も知らないし、聞いてもピンとこない。例えばこれがBtoBの、身を置いている業界以外よく知らないような会社のビルで起こったとして、ここまでの衝撃を自分は受けているだろうか。人の命は平等だという言説は、自分の価値観には浸透していない。

 

・犯人は死刑になるだろう。死刑になったところで、誰も何も納得しないと思うが。

 

・人の命で足し算引き算だの釣り合いだのを語るのは不謹慎だし不適切だけど、この犯人1人がいくらむごたらしく命を落としたところで、失われたものは帰ってこないし、等価交換にもならない。報復は、それをなした人間、世間が、今後それをなしたいと思うことがなくなるだけだ。

 

・だけどどうだろう。今現在犯人は自身も火傷を負って病院で治療を受けているという。命を落とすほどかは知らないが、完治し、裁判になったとき、彼は法廷に立つことになる。刑が確定するまでは留置場で、確定後は刑務所で過ごすことになる。どの段階においても、立場的、職務的に彼の命、生活をサポートする人間がいて、彼らは自分の心情など関係なく大量殺人犯のそれらを守ることになる。それが憲法、法律で決められている。これは、本当に必要なのだろうか。

 

・何度となく議論されてきたこととはわかる。大量殺人犯だから治療しない、弁護の場を与えない、問答無用で殺す…。法治国家でそれを許すことは、それ以上の歪みを生むことになり、いつか取り返しのつかない出来事を起こすのだろう。だけども、感情論的に、大量殺人犯にそこまでしてやる必要はないだろうと思ってしまう。犯人の動機だとか、取り巻く環境がどうだったとか、そんな原因の究明は本当に必要か?それをして、本当に世の中はこんなことが起こらないようになるのか?出来るのか?

 

・ダメだ。気が滅入る。今日の日記終わり。