せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

220318日記

・金曜日終了。せっかくの金曜だってのに若干腹がムカムカしており、なんか悪いもの食ったっけ。朝のベースブレッドと社食としか食ってないんだけども。漫画か? 金曜更新の漫画、どいつもこいつも重たいんだよな。インフレにタコに団地にバトゥーキですよ。邦キチなんか軽い方だ。今日は更新してないが、これらに比べりゃウザいやつなんか吹けば飛ぶような薄っぺらさだとも思う。

 

・冗談はさておいて。いろいろ書いたりディスったりしたけども、実は理由なんか明確で、それはメシでもマンガでもない。労働である。ただ仕事で腹が立つことがあったという、それだけのつまらない話だ。つまらなくて、しょうもなくて、ありふれていて、薄くて軽い。それをこうして日記に書くことも含め、どうにも悩みまで人並みの社会人のようになっているようで癪であり、だからあえてココイチに来てやった。腹がムカムカしてるのに、私はパリパリチキンカレーのチーズトッピングを食うのだ。小市民的な逆張り&憂さ晴らし。平日なのに晩を外食にするのは久しぶりじゃなかろうか。さらにその後はカラオケ。まったく、家での1人をなにより好む私だと言うのに、よくこんな予定を突発的に組み込んだものだ。

 

・ともかく、自覚できる体調不良で良かったとも思っている。それはいつもは平和だという証だし、そうでなくとも知らない間に内臓が、精神が、身体が過労によってダメになっていたなんてよく聞く話だ。労働は身体を壊すこともある。軽い体調不良でも、そのことを身をもって知っているというのは大事である。特に4月からのことを思えばなおのこと。常に「(ワンチャンおかしくなってねぇかな)」とか思いながら労働に励もう。そこに気を配らなくなった自分に気付けれれば上等だ。

 

・まあそういうことなんで、またも日記は短めだ。最近露骨に手を抜き出してるのは、年度明けの多忙な時期を見越し、意固地な心を慣らすためでもある……ということにしといてください。

 

220317日記 そもそも音楽が

・木曜日終了。シャドバのクロスオーバーグランプリは害悪で名高い混沌ドラゴンで二回ほど突入してみたが、いずれも三勝二敗とAグループには届かずの結果。運ゲーだからね、しょうがないね。あと、どう考えてもPPブースト&混沌集めでドローを回したほうがいいのに、アグロ気味で来られるとつい盤面のコントロールを優先してしまう。低コスト帯はろくなカード入れてないんだから張り合えっこないのにね。こらえ性がない。いいだろTCG初心者くんなんだから。1点でも顔殴られると「やべぇ!」ってなっちゃうんだよ。

 

・なんぞ僕ヤバのコラボPVが公開されたとか。なるほどねぇ……。この反応からご察しの通り、見てねーのです。なにやってんだおい。いやほら確かにさ、脳内で好きな曲に好きな作品をあわせてPV的なものを夢想するアレは、いちオタクとして嗜んではおるのだけども、アレは「好きなもの+好きなもの」だから心地よいのであって、片方が「別に好きじゃないもの」だったら途端にもう片方の「好きなもの」のことを邪魔しちゃうというか……。特に今回の場合その「別に好きじゃないもの」が音楽ときた。

 

・嫌いと好きがあり、その真ん中を普通としよう。「好き」な音楽は当然「聴きたい」となるし、「嫌い」だと「聴きたくない」となる。大多数がそうだろう。では、感性が「普通」と評する音楽に対して、どう思うか。つまり嗜好として音楽そのものをどう捉えているのか。私の場合、「普通」の場合は「聴きたくない」となる。0地点では「嫌い」なのだ。音楽というものが。

 

・もちろん、好きな曲を聴くのは好きだ。当たり前。誰だってそう。だからもっと細かく言えば、「好きな曲しか聴きたくない」である。これも「誰だってそう」になるかどうかはわからないけど、こういう人間はなかなか好きな曲が増えないし、そもそもの好みの幅が狭くなりがちなので、「好みの曲を見つける喜び」<<<「聴きたくない曲を聴く苦痛」となり、新規開拓を怠る傾向にある。そんで同じ曲ばかりを聴き、好みの方向だけがさらに固まく、狭くなっていく。悪循環。早く治しとかないと、好きなコンテンツの展開だろうが「好きな曲じゃないし、その曲を好きになるかもわからない」という理由で「じゃあ見ない」とかいう選択肢を取る羽目になるのだ。

220316日記 短め

・水曜日終了。どうせ人に会わねぇからって料理にニンニクを使いまくってしまっている。いくら自制心を強く保とうと努力していたって、制する理由がなくなってしまえばあっという間にこうである。うめぇんだからしょうがないじゃないですか。活力も湧くし。活力の使いどころは特にないけどさ。あと、意識して使わないとすぐにからっからになっちゃうんですよね、にんにくとかしょうがって。それは保存方法が悪い。たぶんそう。

 

・エルデの王には週末のうちになっちまったけど、未だ二週目はスタートしてない。昨日やっとこさスルーしてたボス群やNPCイベントを処理したところだが、ここから後半スルーしてたダンジョン&装備・魔法漁りが始まるので、二週目に入れるのは結局週末ですね。先週も「今週末には二週目に~」みたいなこと書いており、我ながら目算の甘さにウンザリしてくる。慣れてるゲームですらこうなのだから、もはやこれがコイツの能力なのだ。

 

・人間、文句言う熱意が非常に高いので、文句の量が褒め言葉を上回ってたとしてもそれがすぐさまイコールでそのコンテンツの価値を決定づけたりはしません。「どう言われてるか」がすべての人にとっては違うかもしんないけど。また、この世にはたくさんの人間が存在しているので、絶対量として悪評が多かったとしても、以下同文。同文。「自分がまずどう思ったか」「人がそれをどう言っているのか」「客観的に分析した結果どういう評価になるのか」は全部別の話ですので、覚えときましょう。私は何回でもこの話をするぞ。自我が大事ゆえにな。

 

・ちょっとこう……洒落にできない(「ならない」、ではなく「できない」)タイプのストレスがさっきから頭を支配してるので、だいぶ短いけどここで終了。

220315日記 サクラからのボカロ

・火曜日終了。確かに最近はめっきり暖かくなってきた。昼間だけじゃなく、夜もそうだ。冬の寒い間に掛布団として使ってた寝袋も、今は片そうかと考えている。3月も中旬なのだから、そりゃ気温は上がるし衣も替える。南の方じゃそろそろ桜も咲くんじゃないか? なんにせよ、もはや春と言ってもいいくらいの気候になってるのは確かだ。だが、いや、だから、「もう夏じゃん」は明らかに誇張表現ですよ。あるいは感覚がバグってるのか。夏はもっと暑いよ。何回夏を経験してきてそれ言ってんだよ。

 

・誰も本気で言ってるわけじゃない、それはそう。だからこそ薄ら寒いと思ってるんですがね。まだ冬のつもりの服着て外出てしんどい思いして、つい口走るくらいならともかく、ウケ狙いで誰かに伝えるつもりだとしたら、ちょっと寒いんじゃないって。あと若干責任転嫁っぽいのも感じるんですよね。しんどい思いしてるのは自分のミスではなく、気候が明らかにおかしいせいだって。

 

・上で桜の話書いたら、急に「桜前線異常ナシ」を思い出した。懐かしっ。春の名曲として囃されてたのにすっかり名前も聞かなくなっちった。千本桜がボカロの桜曲として強すぎるのが悪い。和ロックってジャンルも被っちゃってるしさ。個人的にどっちが好きかってなると……うぅん、どっちもどっちだなぁ……。甲乙つけがたし。実際のところ丙丁争いだけど。和ロックがそもそも好きじゃないんですよね。桜イメージも同じく。感性的な好き嫌いもそうだし、「和ロック」「桜」ってある程度要素として強いのを選ぶとこに安易さを感じちゃうってのもある。

 

・マジで滅茶苦茶ありましたからね。和ロック。三味とドラムと尺八とギターと鼓とベースとでガチャガチャやってるボカロ曲。ハナっから肌に合わなかったから深めることもせず、だから全部おんなじに聴こえて、さけど毎週聴いてたボカランではだいたい一曲は入ってた(それこそ千本桜登場後は千本桜で一枠だ)もんだから、うんざりしたってのも大きい。

 

・書いてたら思い出した!脳漿炸裂ガールに端を発する「○○ガール」系も同じく嫌いだったわ! あとカゲプロで増えたストーリー系の曲。それぞれヒット曲そのものは「好みじゃない」で感想としてはお終いなんだけど、便乗で湧いてくるボウフラどもには不快感を覚えてたんだろうな。ボウフラは言い過ぎか。じゃあドジョウで。

220314日記 バウムとへうげ

・ちょっと久しぶりに信じられないほど腹が減っており、自分でもなにがなんだかわかんない。今日は自炊の日で、米を炊くのからスタートしなければならない→つまり食事にありつくまで最低でも30分はかかる(実際は今この通り日記を書いており、たぶん書きあがると同時に米が炊けて、そっからおかずを作り始めるので30分以上は余裕でかかる)というのに。

 

・ガス欠ゆえの空腹かと思ったが、そんなことはないようだ。日記がそれなりに捗っている。これがガス欠なら編集画面を前にして硬直していたことだろう。それに、昼飯はいつもどおりの時間にいつもどおりの量を食べているのだ。であれば、物理現象として「腹が減っている」というよりは、感覚として空腹を強く感じているというだけだろう。気の持ちようであれば多少我慢できる。ただ、この状態だとめちゃくちゃ食わないとすぐにまた「腹が減った」感覚が襲ってくるんだよな。そちらは無視だ。

 

・あ、急にバウムクーヘンが食いたくなった。私が定期的に食べたくなる数少ない甘味だ。滅多に食わないがな。未だに心根がガキなので、バウムクーヘンのあの形状にアトラクション性を感じており、だから好き。一枚一枚剥いで喰うなんて真似は流石にもうしないが、あの剥がれる感じは大好きだ。とはいえ、食うとなってもコンビニスイーツを買う程度であり、上等なバウムを私は知らない。ちょっと美味しい店探そうかな。どっかあるだろ。美味しいバウムを持ち帰る帰路、家に帰ればそれがある生活を思えば、なるほどこれが俗に言う自分へのご褒美の楽しさというやつかと得心が行くような気もする。まぁ次の休みの話になるが。それまではコンビニのも我慢しておこう。

 

へうげもの、今日に限り全話無料ですって。ちなみに全25巻。平日だぞ! 読めるか! まぁ全巻持ってるので無理して読む必要はないんだけどさ。ただほら、電子で購入してるわけだけど、そうなると逆に「ふと手に取る」みたいなこともないし、普段読まないとなれば容量を気にしてデータは消しており、さらに読まなくなる……という悪循環だ。ただ、今回のキャンペーンでまた読み返そうという気になったので、購入済みなのに謎の恩恵にあずかっている。利休が下の句の件を知る話が好きなんだよな。全話読み返すのは流石に時間がかかるので、これも休日までお預けだ。おいおい今週は三連休で、面白い漫画を読みながら美味いバウムを食うってか。ご機嫌だな。

220313日記 負荷

・日曜日終了。ブラウザに謎の更新が入ったり、時たまフリーズしたりと、なんか全体的にPCの調子が悪いんですが、まだ購入してから一年ちょっとしか経ってないんですよ! いくら比較的安モンっつってもドンキとかに売ってるクソノーパソとは値段もスペックも比べもんになんないはずなんですが! 勘弁してよ! 

 

・パソコン、この一年はなんだかんだネットサーフィン&日記執筆くらいにしか使ってないし、使わないときも付けっぱなしにせずにちゃんと電源オフにしてはいるし、そんなあっという間に壊れるような負荷はかけてないはずなんですが。まぁケアもしてないけど。本体開けて掃除とかしたほうがいいんだろうな。怖くてとても触れられませんが。PCに詳しい友人が欲しいものだ。3000円までなら払う。

 

・再起動したらとりあえず治ったけども、その内こういうのの頻度が高くなって、ある日突然ウンともスンとも言わなくなるんだろうな。突然ではあるが、急ではない。ヒヤリハットみたいなもんで、ある意味故障の前触れである。1つの重大な故障の陰には、29の軽微な故障と300の不調が隠れている。……再起動案件はわりと不調っつうか故障に類されるのでは?

 

・よほど皆さんお悩みなのか、たまーに「”これ”を見るだけ/聴くだけでストレスが〇%カットされることが科学的に証明されています!! 今すぐ見ろ/聴け!!」みたいな情報が流れてきてて、そのたびに、「(そんなもんでこの私のストレスが和らぐかい、なめんな)」みたいな謎の反骨精神が芽生えること、ありませんか。ありますよね。みんなあるんです。

 

・とはいえ、少なくとも現状の私のストレスが大したことないなんて私自身がわかっていて、”それ”を見たところでストレスが軽減されないのは実感として確かなんだけど、それはもしかしたら母数が少ないゆえに軽減に気づけないゆえかもしれない。

 

・……ふと思ったんだけど、「ストレスがカット」って、具体的になにがどうなってんの? ストレスが発生するのって嫌なことがあったその瞬間だけじゃないですか。嫌なことを思い出せばその都度ストレスもかかるかもしれないけど、そんな四六時中思い出してるわけではそんなにない。ただ、そのストレスの発生によって身体に出た負の影響は継続するから、ストレスは身体に良くないねって話だと思うんだけど、じゃあなにが「カット」されてるの? 過去のストレスはカットしようがないのだけど。身体への不調をストレスと呼んでんのか? 確かに一定程度の不調はそれもまたストレスの元となり得るが……。 

220312日記 ふさわしく

・土曜日終了。海の向こうの争いの、その数十秒程度の動画を見ただけで、何者というわけでもない人間が、動画のなかの作戦行動に対しあれやこれやと不備の指摘をしているのを見て……こう……すごいなって思いました。「すごいな」とは本当に便利な言葉でして、本当にいろんな意味があります。そして、これはどちらかと言うと言語のすばらしさですが、意味が多様であるにも関わらず、今どういう意味でその言葉が使われたかについても、一定以上の習熟があれば一目瞭然なのです。今回の「すごいな」がどういう意味についても、なんとなくはわかっていただけるかと。BFのリプレイ見てんじゃないんだぞ。

 

・令和になってもう四年なんですってね。もうそろそろ世間も「令和の世」らしくなってきてもおかしくはない頃合いなんじゃないでしょうか。言ってる意味がわからない? いやいや当たり前の話を言ってるですよ。まずそもそも、たかが年号が変わった「だけ」じゃあ世界は変わらないんです。書類のHがRに変わっただけですからね。なにが変わるって、この四年間で耳にタコが出来るほど「もう令和だぞ」ってセリフを聞いたことからもわかると思うんですが、要するに世間の意識が変わるんです。ただ、世間の意識が変わったからといって、世の中がすぐに次世代と呼ぶに相応しくコンバートされるわけではない。意識が浸透し、実現象として世間が「変わる」には、やっぱりそれなりの期間が必要なんです。四年も経ったらそろそろ変化の兆しは見えてきたんじゃないかなと。

 

・だからね、耳タコの「もう令和だぞ」なんて、あんなもんは阿呆のセリフなんですよ。いや私もたまには使いますが……。時たまよその国に対してもそんなことを言ってるのを見かけ、それはまた別格のアホ。せめてコロナ前/後だろ。実際問題今はまだ”後”ではなくコロナ”中”だけどね。

 

・昼間は結局そば食って、ついでに街をふらふらしてた。週末なので冷蔵庫の備蓄は少なく、多少歩いてなんとなく疲れてるのでメシを作る気力もあんまりない。米も炊いてない。健康目的で購入したベースブレッドだけど、こういう時には役に立つ。

 

・パン単体は基本的に美味しくはない(朝飯ならともかく、ディナーとするには)んだけど、美味しくないからこそあれこれ工夫する手に自然と熱がこもってくれるのだ。たとえ今日のようにやる気がなくとも。かつ、普通にメシを作るよりもやっぱり手軽ではある。この感じなら続きそうだ。