せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200619日記 サプリ、見下し

・最近、米に押し麦を混ぜて炊いている。『一人暮らしに不足しがちな食物繊維をサポート!』みたいな大いなる建前のもとに。自炊勢のわりに食生活は基本不健康なので、そのうちサプリにも手を出すかもしれない。健康って金かかるなあ〜と実感するしきりだが、正直そもそもの体の調子は別に悪くないので金をかけてるのは健康というよりも『健康に向かっている自覚』に対してかもしれない。

 

・栄養を食材で賄おうとすると金がかかるので……という判断のもとに取らんとしているサプリメント類だけど、ああいうのが本当に効果があるかは気になる。0では流石にないだろうが、脳内に飼ってるナチュラリズム思考が「効果なんてあっても微差だよ微差! ちゃんと自然の食材で取らなきゃ!」などと囁いてくる。別に自然信仰が強い人間ではなく、そういうので育ってもないのだけども、そもそもろくな知識がないので自然とそっちに傾いた思考をしがちというか。

 

・とはいえ科学信仰はあるので、当然誰か研究してるでしょ? 実際どうなの?ってなって調べようとはするのだけど、Google先生が数秒で出してくれる検索結果に正しいものがあるとも思えず。なんだろうね、前の日記で話題に出した強制効果論もそうだが、直感的な答えがある研究の結果って、結局学者のイデオロギーに支配されて決められているような気がしてイマイチ信用ができないのだ。人の成果を信じないくせに正しい答えが欲しいのならば自分が専門家になるほかないのだけど、サプリだのにそれほど情熱があるわけでもなく。結局自分の中の直感的な答えをふんわりと支持しながらこの先を生きていくか、あるいは同じ答えを持つ専門家を支持し、多少の強度をもって生きていくかの二択だろう。

 

Twitterを眺めてると、たまに「愚か者がいっぱいいると嬉しいよね! わかるわかる!」って思う。多少常識のない反応をした人間を『色んな人がいるんだなぁ』みたいに腐しているツイートがバズってるのを見たときとか。私も日記では何度か似たようなことを、つまり世の中には色んな人間がいて、人間の下限も上限も思ったより遠いところにあるって話を書いているが、別にこれは具体例を出したりあまつさえその例の評価を決めてるわけではない。ああいうのに行動というのはつまり『自分より下の人間、愚か者の存在を』『みんなで嗤って』『かつそれでもその愚かな存在を認めてやる自分たちを無言で礼賛する』みたいな行動だと思ってる。

 

・とはいえとはいえ、↑の文章自体『そういうことをする人たちを分析して見下してる』に他ならない。俯瞰ってもうそれをした時点でそういう風に取られるので、うん、癖としてするのはいいとして口に出したりすると感じが悪いよねって話。