せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

200609日記 空っぽの漫画

・火曜日終了。僕ヤバ3巻特装版を入手したので、日記が終わり次第感想記事を書きましょう。書き下ろし漫画の方に気が行ってたけど、プロフ帳もこれ、すごい情報量だな。

 

・書こう書こうと思ってたタパゴラ(タイムパラドクスゴーストライター)についての記事、もうめんどくさいから日記にしちゃおう。

 

・主人公の不快感とか、「マジでこのまま行くの……?」感はもうわざわざ書かない。今後どんでん返しが来る可能性はあり、今時点で判断してもしょうがないから。じゃあ何を書くのかって、1話と3話で出た創作論についてだ。この辺り、ちょっと思うところがあり。

 

・まず1話。編集から主人公への説教の中で、ダメ出しとともに創作論が語られている。『形だけ個性的なキャラでは逆に没個性』、『編集が欲しいのはその作者にしか出せない作家性』、『伝えたいメッセージや描きたいものはないの』……。4話時点では悪役のように描かれている編集だけど、説教内容は至極真っ当のように見える。これに対して主人公は「たくさんの人を楽しませたい」「みんなが楽しめるものが描ければそれで」としか返せず、編集の具体的な説教に4年間この感じだったと思うと不快感が湧き出るポイントだが、まあいい。

 

・で、3話。今度は自らがパクってしまった相手(以下原作ちゃん)から同様の質問を受ける。「あなたにしか描けないもの、伝えられないものはなんだ」と。主人公はそれに対し(やけにヒロイックな回想の末)「そんなもんはない」と断言する。1話を読んでる読者としてはそうなんだろうな……としか思わないが、それに対して原作ちゃんは「私もです!」と同調する。『作者に描きたいことなどなくても、面白ければいいじゃないか』と。これが3話で語られた創作論。

 

・1話で編集によって語られた創作論は、漫画家を目指す人に対し一般的にアドバイスされてるものだ。漫画の賞レース募集の文面でよく見るでしょう、『君にしか描けないものを待ってるぞ!』と。作家性、ネットでは性癖なんて言われ方をされ、ウケる一つの要素になっている。大ヒット漫画で例に出すと、ワンピースの尾田栄一郎先生は『尊厳破壊』、鬼滅の刃は『欠損』、進撃の巨人では『特定のキャラ苛め』みたいな。今出したのは全てキャラが苦境に立たされるものだが、作者としてはこれらの苦境に晒されてもなお、いや晒されているからこそ光る美しさを描きたいのだと予想され、読者もそこに惹かれているのだ。

 

・一方のタパゴラ。主人公には描きたいものなどない『空っぽ』人間で、しかし漫画でみんなを喜ばせたいという気持ちだけがあり、結果的に漫画家を志して数年経つものの鳴かず飛ばずの状況だ。これはつまり『描きたいものを描け』論を補強するものだが、そこに彗星の如く原作ちゃんが現れる。彼女は主人公と同じく『空っぽ』人間で、しかし10年後の未来において傑作漫画を連載しているのだ。なんなら現代においてその傑作と瓜二つのネームを切っているのだから、『空っぽ』のままでも面白い漫画は描けることを(作中で)証明している。

 

・長くなったので明日の日記に続きを書こう。