せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

211223日記 なんでもいいよ

・木曜日終了。皮が極薄でパンパンにあんこが詰まったたい焼きやら大判焼き、饅頭があるじゃないですか。たまに見かけるやつ。やたら有り難がられてるけど、あれもうあんこだけ食ってろよってなりません? あれじゃあ皮の味なんてしないし、であれば「たい焼き」「大判焼き」である必要が皆無だ。シナジーを産めよシナジーをよ。皮とあんこのよ。仮にもお菓子を名乗るんならさぁ。

 

・わかるよ? あんこに自信があって、それをそのまま食わすのが一番美味しいという自負はあるけど、残念ながらあんこ単体を店で買ってそのままパクつける人間はそういない(製菓中のつまみ食いならできるのだから、これは完全に外聞の問題だ)から、建前だけでもたい焼きを名乗ってるんでしょう。本音はあんこだけ食べたい人間へ言い訳を与えられるし、見た目のインパクトで話題性も見込める。商業的には大正解だ。自慢のあんこを大量に食わせるという目的も達成できている。けどね、やっぱりそれは「敗北」なんですよ。「あんこをそのままパクつける人間が少ない」という現実に負けて、これこの通り皮が付いており鯛の形をしておりますのでこれはたい焼きでござりますると、そう社会に言い訳をして、自慢のあんこを表に出せず。皮にむりやり詰められ隠されたあんこがかわいそうじゃないのか。周囲への体面を保つためだけに作られた仮面夫婦と、エロ本を参考書で挟む行為と何が違うというのだ。情けないと思わんのか。その味で! 自慢のあんこの味だけで! 「あんこをそのままパクつける社会」に変えようとは思わんのか!!

 

大判焼きをなんと呼ぶか論争、きのこたけのこ戦争と同じく陳腐化してるように思ってるのだけど、私はいつからそう感じるようになったのだろうか。株と靴磨きの話ではないが、なにかをきっかけにしているのか、それとも単に私がこのネタを知ってから時間が経っているからだろうか。

 

・きのこたけのこに関しては完全に人の好みによるし、人気で言えばたけのこの圧勝でとっくに決着がついている。今やってるのはおおむね終結後のじゃれ合いみたいなもので、ごっこ遊びとそう変わらない。だから「まだやってんのか」と、「アホらしい」と思うのだろう。一方、大判焼きに関しては人育つ場所によって呼び名が違うというだけで「決着」なんてのはついていない。火は絶えていないということだ。「まだやってんのか」もなにもない。

 

・思うに、私の心境が変わったのは「ベイクドモチョチョ」のせいではなかろうか。このアホらしい名前は、しかしアレに確たる名前が定められていない以上「アリ」にせねばならず、そしてこれが「アリ」になる争いなんてものになんの意味もないと、大判焼きでも今川焼きでも太鼓饅頭でも御座候でも、ベイクドモチョチョでもなんでもいいよと、例の書き込みを見て笑った瞬間にそう思い、その時点で私のなかでは論争が終わったのだ。