せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210422日記 間違った分析でも

・つ……かれたぁ……。いかん、これだけ打って放心してしまってた。けどマジで疲れたな今日。純粋に業務時間と質(つまるところストレス)がここ最近で断トツだったんだろうな。うごががががが。こんな言葉しかでねぇぞ今日。

 

・こういう日が多くなってくると、そのうちプツンと日記を書かなくなるんだろうな、きっと。「徐々に」とかではおそらくない。ただ「忙しくて疲れてる」というだけで日記を書くのをサボった日が一日でもできてしまえば、もうその日以降は別にヒマでも書かなくなる気がする。なんなら後ろめたさから感想記事もブッチするかもしれない。

 

・それこそ去年の夏のダウンしたときとか、ああいう「書けない理由」として一個でもあるならば、それなら別に中断してたとして復帰も可能なんだろうけど(もちろん期間によるが。よしんばひと月ふた月離れたとしたら、たぶんもう無理)。言ってしまえばだいたい平日は毎日「疲れている」わけで、その程度に定量的なものはなく、ゆえに「これくらい疲れてるから今日は書かない」の「これくらい」もない。ひとたび「疲れてるから」で休んでしまえば、毎日疲れてるのだから毎日休むという選択肢が生まれる。そう、「サボったから日記をやめる」ではなく、「毎日サボるようになって結果的にやめたことになる」なのだ。

 

・まあ、ここまで書いといてなんだけど、「たった一日サボっただけで書かなくなる」なんてのはいくらなんでも流石に切り替えが早すぎるというか、自分のことを悪く見積もりすぎだし、正直な話本気でそこまで思ってるわけではないけども、一方でこうやって嘘という自覚を持ちながらでも「自分はそういう人間だ」という危機感は持っていないと、そもそも長期間の継続自体が困難だとは思っている。こっちはある程度適切な見積もり、のはずだ。

 

・人は自分が思ってるほど悪辣ではないし、一方で優しくもない。さほど賢くもないし、意外とバカでもない。自己分析が的を射ることはそうそうないけど、人は正しくない分析に基づく定義ででも立ち方や歩みの助けとすることができる。自分に合ってない靴だろうがとりあえず履けさえすれば、地面からの傷から守ることができるように。靴擦れなんてのは人生の痛みだとうそぶきながら。

 

・関係ないけど、不意に仕事中に「ホッティェンプリッツ」という単語が浮かんできて、なんだなんだとそのまま調べてみたら、幼いころに読んだ児童書(?)の『おおどろぼうホッツェンプロッツ』が出てきて、異常に懐かしい気持ちになった。読んだな~そういや。ドイツの童話で、「ザワークラフト」なる食べ物をそれで初めて知ったはず。主人公だかおおどろぼうだかの好物で、どういう食べ物なんだろうなと想像を膨らました思い出。ついでに商品ページの「ほかのおすすめ」に『はれときどきぶた』も出てきて、こっちも読んだけどどんな話だったか覚えてないな。