せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

210331日記 怯えている

・3月終了……3月終了?! 明日から4月なんすか?! なんで?!

 

・なんでもクソもなく、順当に時間が過ぎ去った結果でしかないですね。わかってるんですよそんなことは。ただ、理解と納得は地続きで近縁だけど、しかし同一ではないんです。そこにラグが生じることは許してほしい、誰だって人間じゃないですか。あぁ3月、どうして行ってしまったんだ……。こんなこと書いてるけど、あと半年もしたら3月の近づきを厭うてますよこいつは。別に3月という時間になにか特別な思い入れがあるわけではないので。というか思い入れのある月なんかないでしょう。かろうじてボーナスのある月か。社会人は現金。賞与が存在しないタイプの勤め人については、まあ、そこにも多様性があるのでなんとも言い難いというか。

 

・年度末ということで、終わりについて。ブログのことじゃなく。私が常々「死」を怖がってるって話は時たま日記にも書いてて、最近は忙しさからか、一時期よりかは死について考える夜も減ったのだけど、それでも頻繁ではある。あぁ、「死について考える」と言っても、自死をしようとかそういう話ではまったくなく、死んだらどうなるんだろうとか、こうなったら怖いな、ああなっても怖いなって無為な想像と怯えだ。子供のころから変わっておらず、今はなまじあの時よりも中途半端に知識を得たものだから、想像のバリエーションが広がっちゃっていけない。ガキの無垢な想像力なんかより中途半端な無知の少しリアリティで色づいた想像力の方が恐ろしいのだ。どうだ、参ったか。

 

閑話休題。死に怯えるのと同時に、「終わり」についてもいつも怯えている。好きなコンテンツが、親しい人が、良く知るなにかが、どんな瞬間であろうと突然終わることに、突然でなく順当に終わることに、そのなにかを強く思うほど終わりが頭をよぎり、怯えが走る。なにがきっかけでいつ終わるのかなんて、誰にもわからないから。

 

・死についてのそれも終わりについてのこれも、どちらももはや思考の癖のようになっているのだけど、しかし、この二つは私のなかではまったく別種のものである。終わりが怖いのは断絶ゆえで、死が怖いのは永遠ゆえという違いだ。これ以上が『ない』という怯えと、あそこから先には今以上がないという怯え。