せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

201201日記 美味しい話

・12月突入。友人たちと「今年の目標、達成できてないな…」みたいな会話をするなど。いや、そういう結果発表的なのはホントの年末にしようよとか、俺は達成したけどなとか、そういう言葉は飲み込みました。

 

・この週末、近所の肉屋に行ったらそれなりの値引きをしていて、いったい全体なんだろうと思いながら夕食をすき焼きに決めるということがあったけど、いい肉の日だったんすね。後から気づいたわ。あんなにいい〇〇の日をネタにしといて大本命を失念するとか、ちょっと自分のオツムが心配になってくる。ちなみに、調子に乗ってお高い肉を少々とちょっといい肉をそれなりに買ったのだが、なぜかその夜はさほど食欲が湧かずすき焼きは翌日に繰り越しに。美味しい物にはしかるべき空腹を準備しなくては。

 

・美味しいとは。そう聞かれた時、辞書的な意味合いで言えば「食べ物の味が良い」となる。食材の味に対する評価のことだ。ここに食べ物があって、それを『美味しい』と取るかは、まずその人によって左右する。左右する因子としては価値観の違いが大きかろうと思うが、舌の鈍い鋭いもあるらしい。味覚も感覚の一部であるから、眼がいいのや耳が悪いのと変わらない話だろう。それらに比べて他人の味覚は追体験しにくいが。

 

・同じ食べ物を同じ人が食べたとして、その評価が変わることもある。大きいのが環境の違いだ。よく聞くのが「1人で食べるより、みんなで食べるほうが美味しい」みたいな文句で、少しおかしな話だとは思う。『美味しい』とは『味』の評価で、『味』とは『食材』で決まるもので、同じものを食べるのであれば『美味しい』ことに変わりはないはず。その場所に誰がいるかなど『美味しい』には関与しないはずだ。

 

・ストレス? それはあるかもしれない。ストレスは脳に作用して、味も脳が判断することだ。ひとりぼっちをストレスに感じる人であれば、味に、ひいては『美味しい』に影響を与えるかもしれない。ノンストレスで感じる味が『100』で、以降ストレスが増えるごとに点数が減っていくパターン。つまるところ、「みんなで食べるほうが美味しい」は100点を120点にするのではなく、1人をストレスに感じる人間がそれによって80点とかに落ちた味を100点に戻すということで、万人に適用される話ではない。

 

・そんなことはない、1人が楽でストレスに感じなくとも、それでも気の知れた友人との食事は普段の何割にも増して美味しく感じる、という話もあるかもしれない。たぶん、それは『美味しい』と『楽しい』が混ざってるだけだ。『美味しい』も『楽しい』も基本的に『幸せ』に分類され、その食事会で発生したトータルの『幸せ』を自分の中で再度振り直す際に、本来『楽しい』で感じた分を『美味しい』に入れちゃってるだけ。