せんくつにっき

思うこと、感想、とかとか

201025日記 正しさと賢明さと人の声

・まーた昼寝をしてしまった。これでちゃんと夜も眠れるならいいんだけど、そんなことにはならないから昼間っから寝るのはやめろって何度も何度も後悔しているはずなのにね。ちょっと気合入れて家の掃除をしたら疲れちゃってこの有様だ。昼寝はいつも通り気持ち良かったです。ボウリングのレッスンを受ける夢を見ました。コロナ対策でボウリングのあの球の代わりに、トイレットペーパーの芯を使ってました。なにがどう対策になるのかはわかりません。使い捨てだから? どうやってピンが倒れていたかは疑問だけど、まあ夢なので。

 

・日記、なんか最近似たようなことばっか書いてるなという気持ちがある。具体的にこのトピックについてってわけではないんだけど、ざっくり『正しく賢明であろう』みたいなニュアンスを毎回含ませているような。いつの間に私は正義の人になったんだ。まあ、『それ』自体は否定されるものではないけれど。皮肉でもなんでもなく。

 

・日記で似たようなことを書いてはいけないなんて法はないが、書いてて多少でもそう感じるのなら見返した時にはもっと強く感じるであろうことはなんとなく予想がついて、そして私には私の日記を書く理由があり、要するにそういうことだ。

 

・正しさはともかく、賢明さを私は例えば感情と論理を分けることで確保しようとしている。そういう意識のもとで言動、思考を管理していて、言ってしまえばそれが正しさだとも思っている。今のところはそういう考えだけど、正直そこまで確固たるものが私の中に存在してるわけではなく、何度も書いてしまっているのは自己認識を深めるためかもしれない。

 

・話を変えましょう。Vtuber、何人も何人も見るってのが不可能だと思ってる。私は。時間がないとかではなく(それがないではないけど)。単純に、男だろうが女だろうが興味ない人間の言葉や声をずっとは聴いてられないのだ。そして、私の『声』に対するハードルは相当高く、今のところ初見(初聴?)で「いい声だな」と感じたことなど一度もない。今の推しだってそう。だいたいはなんかしらの瑕疵を見つけてしまう。もちろん人間は慣れる生き物だけど、慣れるまで聴くなんて真似は私には難しく、以上によって『推し』を増やすことが不可能だ。

 

・実際問題、「うわっ」ってなりません? 人の声って。生(なま)い声はもとより、作ったようなアニメ声や萌え声、イケボやらショタボやらも初見では全部「うわっ」の対象だ。それが二次元の仮面から出されようが生の人間から出されようが変わらず、基本的に人の声って不快なものだ。ただ慣れてるだけで。さらにそこにわざとらしぃ〜喋りが加われば、もうダメだ。耐えられない。見せ場だけまとめた切り抜きなんて、ファンにとっては時短になってありがたいのだろうけど、そのVを知らない私にとっては無理やり取れ高のために声を作って頑張っているシーンにしか見えず、むしろ一番忌避感があるところのまとめだ。